コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 昼顔2017. 7. 4

現在上映中の話題の邦画作品である。
1967年の同名の作品でフランス映画がある。
天下の美人女優、カトリーヌ・ドヌーブ主演で上映されベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した佳作である。
物語は医者の妻が昼間に娼婦となって稼ぐという物語で、今も昔も日本の風土、倫理観には馴染まない作品であったが当時結構話題を集めヒットもしたようである。
筆者が14才の頃の映画なので、観てもいないし興味も全くなかった。
心理学、人間関係、特に男女間の問題を社会での捉え方を“勉強する”為に特に興味のない作品であったが邦画の昼顔を観に行った。この作品は2014年に放送された同名のテレビドラマの完結編、後日談、その後・・・として同じキャスティングで2017年6月に封切られた。

先年亡くなった作家・渡部淳一氏が述べていたように現代の日本では不倫でしか恋愛を描けないらしい。
即ち身分の格差、貧富の格差、年齢差の格差など男女間の障壁が殆ど消滅してしまったので男女の間を引き裂こうとするエネルギーがない。
引き裂かれようとするエネルギーに反発するように男女間の接近しようとするエネルギーが高まり燃え上がるものなのだ。
これを「ロミオとジュリエット効果」と呼ぶらしい。
独身の男女が何の障壁もなく最初からスンナリくっついちゃったら物語にならないではないか。

・・・で、物語をつくる上で世間の白眼視とか倫理道徳とか、不倫であるから相手の家族や夫や妻などが障壁となってその愛し合う男女の間を引き裂こうとする。
そのエネルギーにあらがうかのように男女の愛がさらに燃え上がる・・・というワケである。

この邦画の昼顔については冒頭からダブル不倫の末に離婚してしまった女性と、元のサヤに収まった男の間に、約束させられた示談書なるものが提示され、それは「会ってはイケナイ」「会話してはイケナイ」「連絡を取り合ってはイケナイ」「居場所を明かしてはイケナイ」など、最初からロミオとジュリエット効果を高める為のお膳立てが出来ている。

即ち物語の最初から既にこの愛し合う男女がお互いを求め合うように仕組まれており、観客もまたそれを期待してしまうという舞台設定がなされているのだ。
或る意味恋愛物語の定型的なパターンが物凄く単純化されて枠組まれている。
ヤレヤレ。

この映画を観てオヤッと思ったのは愛し合う男女だけでなく相手に不倫された、盗られた側の男女の視点が描かれていることであった。
不倫の果てに逃げられた者の悲哀、怒りなど否定的な感情の吐露があるのだ。
そうしてその不倫の「被害者」の側の男女には共通点があって、それは
➀底意地の悪さ・・・サディスティックと言っても良い。相手が苦しむのを喜ぶみたいな性格特徴
A相手を追いつめる、問い詰める。
B正直・・・その正直さを相手にも求める
C倫理観の押しつけ
などである。
一方、当事者(不倫恋愛している側)の特徴として
➀大人しく善良に見える
A嘘つき・・・秘密を抱えている、抱えやすい
B自らの性的欲望、感情に流される
C倫理感が希薄というより自らの欲求感情に正直
などの特徴がある。
不倫される人より、する側が主人公であるから仕方ないが、倫を踏み外しているのに善良に見える。そのように描いてあるという側面もあると思うが、先述した特徴を考えてみると或る意味至極当然にも思える。
「だからアナタは逃げられるのよ」みたいな、離れたくなるような醜く嫌われるようなキャラを用意してあるのだろうけれども、現実にもそのような感じの人々が結構多いのではないかと思える。ハッキリ言って「怖い」キャラが不倫される側の特徴だ。
まさに「恐れは愛を駆逐する」。

浮気も悪いが浮気される側にもどこかしら原因があるのではないだろうか。
結末もハッピーエンドとは言えない。
不倫した人は罰を受けるという割と日本の映画では定型的な終わり方である。
社会の公序良俗を守る・・・という前提がある為か邦画ではドロボーにしろ、殺人にしろ、不倫にしろ、罪を犯した者が無事に逃げおおせるとか、社会から許されるとか、ハッピーエンドになるということはないようである。森田芳光監督の「失楽園」もそうだったけれど日本のこの手の映画は暗くてイケナイ。

その点アメリカ映画は明るい。「恋に落ちて」という傑作不倫映画は、ロバートデニーロ、メリルストリープ主演でダブル不倫なのに、とてもロマンチックなハッピーエンドだ。かなり常識的で真面目な主人公の二人である。犯罪モノでは、スティーブ・マックイーンの「ゲッタウェイ」や「ゴッドファーザーpartT」などである。
これらは名作としても名高い。
後者はアカデミー賞もとった。
日本よりも倫理や道徳にウルサイと聞いていたが、アメリカという国は多民族国家、真の意味での法治国家なので法的に問題がなければどんな映画も芸術作品として受け入れられるのであろうか。
フランスにしてもカトリック教国なので一夫一婦制とかにはウルサイ筈なのであるが、昼顔(カトリーヌ・ドヌーブの)のような映画が容認されるというのが面白い。

日本の場合、純粋な一夫一婦制とは言えない歴史を持つ上に法を最高位に置く法治国家でもなさそうである。
世間知国家なのだそうだ。
法律よりも世間の声が重視される。
結果、社会問題になった犯罪事件などでも結構世間の声に流されてしまって冤罪などもあるかも知れない。

話がそれてしまったが男女間における不倫不貞の問題は世界中同様の反応をするらしいが「言ってはいけない」の著者、橘玲氏に言わせると、人間は乱婚であるらしい。
それが証拠に性交の時に女性は盛んに声をあげるが、あれは他の男達を興奮させ次々と性交を受け入れる用意がある・・・という証であるらしい。
習性として乱婚をするチンパンジーは、精子の数と力が強められ種の保存強化を促しているとのことだ。
長く続いた一夫一婦制の為に、人間の男の精子は年々衰えて数もどんどん減ってきているらしい。

映画昼顔の最初の方で「一夫一妻制」という言葉が壇上の講演者(主人公の男・斎藤工)によってスライド上に大書されているが、製作者はこの制度自体の限界とほころびが現代社会において隠しおおせない、被いきれない・・・ということを伝えたかったのかも知れない。

最終的には不倫する人は、「しあわせになってはいけません」みたいな残酷で悲劇的な結末で、映画の出来としてはまぁまぁであったけれど、人道的にはどうかと思われた。通俗的で薄っぺらく唯我独尊的な倫理道徳など、まったくもって醜悪軽薄としか思えない。ざまあ見ろ・・・みたいな意地の悪い微かなほくそ笑みを、観客の人々の中にちらちら見つけしまったのは筆者だけだったのであろうか。

ついでに、道徳と言えば、思い出すのが以下だ。
「人間の一生は誠に僅かな事なり、好いた事をしてくらすべきなり」葉隠。
「葉隠入門」の著者、三島由紀夫の唯一の道徳は葉隠だけだそうだ。


ありがとうございました
M田朋玖



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