コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 医者を変わる2017. 6.17

筆者は医者であるけれどもモチロン病院にはかかる。
・・・で、どうやってお医者さんを選んでいるかというと腕とか評判とかブランドとかはほとんど関係なく“好きな”先生に診てもらうようにしている。
そうして大いに満足している。
知人友人の中から選択するのであるが、この「好き」という要素が一番強くてどんなに評判が良くて腕や技術が良いという世間の評価があってもそれらに左右されることはない。
内科、外科、皮膚科、歯科、耳鼻科、眼科、整形外科など殆んど全ての科について“かかりつけ”があって、それ以外には滅多にかからない。
・・・というか全く行かない。
誰かれに“病院を替われ”と言われてもそう思ったことは一度もない。

一昨年に生命にかかわるような重い病気の疑いがあって、かかりつけのドクターに「どうしますか」と問われた時にも「お任せします」と殆ど完全にゲタを預けてしまった。
実際にその選択を間違えた・・・という感覚はない。

世間では病院ランキングとか日本名医名鑑みたいな雑誌や本が出ているが、あらためて読んだことはない。
夜の店の選択もそうであるが60数年間、概ね健康で過ごして来てあらためて医療機関もお隣近所や知人友人のレベルの狭い範囲にとどまっている。
有難いことである。
世界中の名医を求めなければならないような難病・奇病になっていないのはかえすがえすも有難いことではある。

とにかく今の現状に満足しているからそう言えるのであって「治らない」人にとっては医者を変えるというアイデアは決して悪くないと思える。
患者さんと医者の間には単なる人間関係ではなく信頼関係とかやや契約関係に近いビジネスライクな側面もあったりして法律的には評価が難しい部分もあるようである。
幸か不幸か筆者は医者であるのでかかりつけのドクターは全員、友人か知人である。
したがって所謂大きな病院には行かない。
モチロン知人が大きな病院を経営していたら別であるが・・・。

いずれにしても知らない医者のところに初めて行ける人というのは凄い・・・と思えるほど勇気があるなあと思える。
ましてやそれを次々と替われるという人を見ると思わず尊敬の念を感じる。
筆者の年令と社会的な位置を顧慮すると「好きなようにさせてくれ」という面があって、それを押し通すことも可能であるので病院・医療機関にかかるという意味では十分ワガママを言える立場にあるが、状況によってはそうも言ってられない事態も生じるかも知れず、その時には「マナ板の鯉」になって信頼できる人、これは好きな人に任せて殺されても後悔がないようなドクターに診てもらう・・・というのが個人的には理想である。
まさに「生命をあずける」というような感覚で臨む覚悟だけはつくっておきたいと思うがどうなるかワカラナイ。
何しろ女性にとってはまさに生命がけの事態である出産などについては女医さんが一番ジタバタするらしい・・・と聞いているのでその場にならないとワカラナイ。
最も想像したくない場面ではあるし普段からそういうことは全く考えていないので尚更ワカラナイ。

先述したように余程のことでもない限り医者を変わるということはないし、そのような事態に立ち至った事もないので患者さんの立場に立った時に紹介しますからこっちの病院へ行ってくださいと言われた時にはできるだけそのかかっている先生の知っているドクター、たとえばお師匠さんみたいな先生で個人の開業医を紹介してもらうようにしている。こんな風に考えられる背景には、医者同志で医学知識や情報の共有・・・というより医学的センスとか教養素養みたいなものを、潜在意識的に感じあっているからかも知れない。どうも一般の人々と、ドクターとの間に、お医者さんの選択において何とも言えない乖離があるような気がする。

さらに、一般の人は逆に考えている方が多いかも知れないが個人の開業医、それも一人でなさっているお医者さんというものは責任の感覚が100%で分散がないのでしっかりと任せられる。
大病院というとミーティングをしたりカンファレンス、会議をしたりで知恵や情報を集められるという有利性はあってもどうしても責任の分散化が起こってしまう可能性がある。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言った感覚であろうか。

先日NHK-BSで放送された「カリスマ医師の真実」というドキュメントでもパウロ・マッキャリーニという外科医がスウェーデンのカロリンスカ医科大学を舞台に行った人工気管の移植手術ですべての患者さんを死に至らしめたというスキャンダルも「組織ぐるみ」であったという印象を拭えない。
個人の開業医のレベルでは行えないし、起こり得ない暴挙である。
まあマスコミの話であるから全て信じているワケではないが事の顛末をつくづく考えてみるとそのように思える。

ちなみに外科医とか弁護士とかにはサイコパスが多いらしい。
最も少ないのは介護士、看護師であるようだ。
内科医にもサイコパスは少ないらしい。
サイコパスとは精神病質、反社会性人格障害と呼ばれる特殊な人格の持ち主でかなりの割合で社会に存在するらしい。
モチロン犯罪者に多いのであるが、愚かにも捕まってしまうタイプと捕まらない賢いタイプがいるらしいと美人脳科学者の中野信子大先生の著書「サイコパス」に書いてあった。

知識よりも技術や経験がモノを言う外科系の科目では特に善意の人(サイコパスでない人々)、倫理観・道徳観の高い人に治療してもらうことが望ましいが残念ながら今の医学教育や医療制度ではそこら辺の選別が行われていないのが実情であるようだ。

モチロンそのドクターがサイコパスかどうかよりも好きかどうかに拘る人物(筆者のようなタイプ)にはあまり関係がないことかも知れない。
医者がどんな人であれ治療結果さえ良ければよいという考え方もあるのだ。

ありがとうございました
M田朋玖



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