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■ 本妻型側妻型 | 2015. 6.19 |
女性のタイプ別で本妻型と側妻型に大きく分ける考え方を知り、近々の悩ましい問題、過去の悩み、問題が一気に解決した。 岩盤のように硬く凝り固まったように思えた女性の心も自分の見方、考え方と照らし合わせると解釈として氷解して見える。 本妻型とは男性を独占したいと強く思い、所有し、上手に操作し自分の都合に合わせようとする企みを持っており、本能的に子供を産みたいと強く欲し、それらを安全安心な環境でしっかりと完璧に育てたいという固い意志を持っている。 夫は所有物であり、稼ぎを持ってくる運搬人であり、普通は感謝の対象ではなく自ら産んだ子供のように自分の為に当然存在するべき、やや下等な人物とみなしている傾向がある。 したがって夫の呼称は普通旦那とか亭主とか宿六とか軽い侮蔑を含んだ下僕のような存在になり下げて自由を愛するプライドの高い孤高の男性にとってはとても厄介なタイプの女性となる。 一方でそのような扱いを喜々として受け入れる男性も結構多くおられて、まるで牙を抜かれたライオンのように見かけだけは立派だけれども、いかにも居候のように家庭の中で縮こまって生きている。 亭主関白と呼ばれているか自覚している夫たちですら完全に本妻の支配下にあり、夫のあからさまな浮気ですら妻の土俵の中で行われ、それを放置されるか手厳しい叱責を受けるかにかかわらず本妻の支配、管理の外に逃れるにはそれ相当のエネルギーを要する。 また本妻型の女性の場合、浮気をするとまたとてもヤヤコシイ事態に立ちいたることがある。 本夫(?)のみならず浮気相手ですらも、それが妻帯者であろうと彼女持ちであろうと自分の支配下、コントロール下に置こうと企て、さまざまな策を労してそれを達成しようと目論み、それが達成されないと激しく懊悩煩悶し、周囲からするととても不穏当な行動をすることもある極めて傍迷惑な存在となり得る。 本妻型の女性同士の争いは血みどろで荒々しく醜い。 それは金銭問題とか遺産問題、入籍問題とかとてもエゴイスティックな動機がありありと浮かび上がるからで、傍から見ていると醜悪極まりないのに本人たちは全く気づいていない・・・と言うより当然の権利を主張しているに過ぎないと考えているような節がある。 「夫のモノは私のモノ、私のモノも私のモノ」みたいな感覚である。 これは子供の養育については一定の期間はとても有益な感覚であるのかも知れない。 子供の教育については優れた能力を発揮する傾向があるように見える。 一方側妻型、即ち2号さんタイプ、お妾さんタイプの女性には前記のような特徴があまり目立たない。 男性との入籍にこだわらず自らを日陰の身と思って卑屈になっているワケでもなく、相手の男性に尽くすこと、愛すること、愛されることを最大の目標としている。 多くの男性にとっていわゆる「都合の良い女性」なのであるけれども、愛妾と言うくらいで、男性とりわけ女性を愛養することを生きがいとし、人生最良の楽しみにしているタイプの人にとっては可愛くてしようがないタイプの女性となる。また自らが「都合のいい女性」であることにあまり頓着しないように見える。 本妻型から見ると前記のような「都合の良い女性」など絶対なりたくない・・・、私は名実ともに本妻正妻でありたいと強く願うのが本妻型の女性の考え方の基本であるので、そうはならなかった時の苦しみは相当なものであるようだ。 時々不倫関係にある女性、道ならぬ恋に落ちてしまった女性に本妻型の人がおられて「何でそんなことで苦しむの?」と以前は思っていたが、このようなタイプの考え方の持ち主であるから仕方がないとあきらめて妙な説教はやめて「そうですネ、苦しいですネ」と言う風に基本的ながら表面的な受容共感をしている。 いずれにしても割と厳正にこの分類ができるそうで、ことにその顔相に特徴があるようで、それは主に目頭に現われ、本妻型は目頭が広がっており側妻型はそれがすぼまっている。 切れ長のいわゆるツリ目は一見恐妻(本妻型)に見えるが実は側妻型で、嫉妬深くて浮気性で夫にウルサク小言を言っているとしてもそれは重々しくしつこく口説口説しいものではなく比較的軽々としていることが多い。 時に夫の存在がウザイと感じたり、ほっといてくれたり、ほっといたりするのを好み、自由人であることが多い。 しかし自由人で本妻型の女性の場合、その思いとは裏腹に結果的に男性にも子供にも去られ孤独な老後を送ることが多いらしい。 一方側妻型は、基本的に夫が常住するのを好まないワケではないけれど男を自分の支配下に置こうとはしない。 「本命」が別にいても構わないと思っている。 それは本質的にも形式的にも言えることで、戸籍とか愛情の散乱とかにこだわらないように思える。 個人の感覚では「愛し、愛されること」を最上とし「所有し、所有されること」をそれほど重視しない側妻型の方に軍配が上がる。 これは自分自身を女性に置き換えても自分が付き合いたい女性についても言えることで、何よりも自由を愛する個人として、また精神的なものを優先する男として当然の結論と思えるが一般的な倫理、道徳、社会制度の維持管理については本妻型の女性の存在の方が好もしいかも知れない。 妻帯者であっても甲斐性もある優しい「いい男」であればたとえ愛人であっても子供の面倒や夫の身の回りの世話を毎日毎日オサンドンか女中さんのようにさせられるより、ただ愛玩される為だけに存在する、もしくはママゴトのような疑似夫婦を味わえるならば本妻よりも気楽で楽しいのではないかと思えるので、自分自身は男であるけれど側妻型と考えている。 あくまで仮定であるので本当はどうか分からない。 以上のように何となく本妻型より側妻型がお気楽で心理的にしあわせなように思えるけれども、世間的には愛人とか言われて一見日陰の身で気の毒なように思えるかもしれないが、何度も繰り返すようだが「そうとは限らない」。 つまりそれぞれのタイプで幸福感が異なるので、どちらかというと一方的に行われる本妻型(世間一般)から側妻型(マイノリティー)に向けられる一種の見下した感覚、侮蔑みたいなものには強い違和感を憶えるようになった。 「つまらない男の妻よりもいい男の女になりなさい」なんていうタイトルの女性の書いた本もあったりして、これなどは側妻型(少数派、異端者)の本妻型(社会一般の常識)からの反撃にも思える。 テレサ・テンという台湾出身の有名歌手がいて、この方はアジアの歌姫としてその人気と才能を欲しいままにした人物であるが、プライベートでは「道ならぬ恋」に苦しんでいて、淋しい人がなる病気、喘息の重責発作のため40才で急死したのであるけれど、この方の顔相を見ると典型的な側妻型である。 これは意外なことであるけれども、この方の代表的な曲は「愛人」とか「別れの予感」とか「つぐない」とか、いかにも側妻型の人の悲しみが歌い上げられていて周囲の人々の悲しみをつのらせている。 側妻型の苦しみというのは「愛されること」についての重要性の強さで、これが不安定であるとこのような不幸な結末にいたることがある。 つまり側妻型が本妻型への憧れとか羨望とかの「自分らしくない」欲求をもった途端、この苦しみが頂点に達すると思える。 一方本妻型は「愛されること」よりも自らの地位(本妻であること、○○夫人であること)に重きを置くので極論すれば夫の愛などどうでも良いという印象を持つ。 また側妻型の「結婚」にも問題が多い。 結婚離婚を繰り返す女性の中にこの側妻型の女性がおられる。 元々本妻に向かないのにひとつの個人的な思い込みとして「妻」の座を得てはじめて本当の幸福が得られる・・・という勘違いから本妻に納まるのであるが、その原因の本質的心理状態は「愛情」の欠乏感である。 一般的に夫婦愛というものはそれほど情熱的でも永続的でもなく「愛されている」という実感が明確なワケではなく、形骸化した結婚のカタチによって支えられたものであるのに、「好いた、惚れた」のレベルではないのに、それを求めてしまった結末として結婚生活の破綻に至りやすいようである。 いささか乱暴な論説で多くの人々ことに女性の顰蹙をかいそうであるが、どうしても分けておいた方が安全と思える。説得や説明をするときにどちらかに特定しておくと、とにかく話が早い。もちろん中間型の人もいる。けれども筆者の経験では、クロスオーバーはしないようだ。本妻型と側妻型で・・・。 男女間でこれらの分類(本妻型、側妻型)をしておくことは夫婦関係を含め多くの男女関係に有益であると確信している。 ありがとうございました M田朋久 |