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| ■ 生き方 | 2026. 7.21 |
これはもうハッキリしている。 人間は必ず「死ぬ」という宿命にある・・・という前提を忘れないことだ。 このことを多くの人は見ないように考えないように何となく誤魔化しながら生きている・・・ように見える。 「生死の間をさまよう」ような経験は幸いにしたことはないが、これらの状況から生還した人々の「生き方」の特徴として以下の4つがあるそうである。 1)「今」ここに集中している。 そのことを楽しむ。 目の前の瞬間瞬間に集中して過去や未来への執着を手放している。 2)自分に正直に生きる。 後悔しないように。 他人の目や世間体を気にせず自分の心を偽らず自分の欲求に正直に生きている。 3)「あたりまえ」に感謝。 日常のささやかな事柄、たとえば「朝起きれる」「呼吸ができる」「食事ができる」「自分の足で歩ける」・・・日常のささやかな「当たり前」に感謝して生きている。 4)死生観の確立 人間は必ず死ぬものだという覚悟を持って生きている。 「生命」に感謝。 「今ここ」に感謝。 以上の中で最も重要なのは2)だと思う。 多くの死ぬ前の人々の後悔の一番は「好きなように生きたかった」ことらしい。 人間は毎日を「好きなように」生きるべきだ・・・と思う。 そうすると何事にも「勇気」をもって臨むことができる。 後悔しない為に。 山本常朝の名著「葉隠」の有名な一節に「武士道とは死ぬことと見つけたり」とある。 若い時には何のことかさっぱり分からなかったが最近は少し分かる。 毎日、瞬間瞬間を「死ぬ」覚悟で真剣に生きることなのだ。 この考え方にのっとって人間は2つのことを心がけて生きるべきとある。 1) 自分の役割、本分を果たすこと たとえば医師なら医師、教師なら教師、父親なら父親、母親なら母親としての義務役割をキチンと果たしていくべきだ・・・と武士の本分は忠義である、「戦い」である。 主君に生命がけで尽くす、仕える・・・ことである。 2)1)を果たしたなら後はできるだけ「好き」に生きることだ。 自分の欲望に従うのも良い。 抑えきれない衝動に生きるのも良い。 それらは大人として人間として「責任」を果たすことが出来れば・・・。 上記のように考えると人生への眺望がいかにもスッキリと晴れ晴れとはしないだろうか。 「毎日を自分に正直に感謝を持って後悔のないよう生きていく」 これが人生の生き方の本筋ではないかと思うのだ。 いかがであろうか。 「今ここ、ありまま」を受け入れ「自分に正直に生きる」。 自分のこの世界における人としての役割、本分を果たしていくこと。 このことがどんなにささやかな事柄であっても尊び、学びながら「生きている」というのは実に楽しいことなのではないか・・・とあらためて考えるのである。 世の中には「死病」を患っている人々、生死の間をさまよっている人々以外に突然の死(突然死)に見舞われる人も少なくない。 それは15%〜40%と言われている。 人間はそもそも「いつ死ぬか分からない」のである。 それで毎日を「呑気に生きている場合」ではないと最近つくづく思うのだ。 それでいちいち文句を言う訳ではないが、終日「パチンコしている」とか「ゴルフに興じる」とか「リゾート地」で何もせず無為に過ごす・・・ことが好きでタマラナイ人はともかく個人的には人間としての「役割を果たしていない」、本当に「好きなこと」に興じているようには見えないので・・・余計なお世話であるが考え直して「心を入れ替えて」世の為人の為に有益な行動・・・多くの仕事における役割を果たす・・・「本当にしたいこと」をするという生活の態度を推奨したい。 全くもって「余計なお世話」ではあるがそれぞれの人間はそんなことは考えず「呑気に生きたい」という欲求願望を持っている人も実に多いものなのだ・・・理解はしているけれど・・・。 「怠けて無為に過ごしたい」「仕事などしたくない」と考えている人もおびただしい数おられるのだ。 そろって人々に「生き方」を問うても説いても何のことだか分からない・・・。 「酔生夢死」という言葉があるが、筆者も含めてそういうレベルの人々が多いのも事実である。 「生死の間をさまよう」体験はしたくないが、そのような状況・心境を想像することは誰でもできると思うのだ。 それらから「生還」したつもりになって生きてみるのも人生を真に「楽しむ」為の一方なのではないだろうか。 ありがとうございました M田朋玖 | |

