コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 恋医者事始(3)2026. 6.30

能楽師、世阿弥の「風姿花伝」に「秘すれば花なり」とある。
人生や日常のあらゆる場面で応用できる言葉と筆者は考えている。

「恋医者・・・」と原稿を4稿まで書き上げて読み返してみたら、我ながら実に「酷い」。
「非道い」と言っても良い。
これでは単なる「色キチガイ」「女誑し」「ジゴロ」もどき半生記。
激しい羞恥心で外を歩けなくなるレベル。

とにかく女性関係の乱脈さが「目に余る」。
これでは筆者の人格を疑われても仕方がない。
それでコラムにupするのを断念した。
読者諸氏の好奇心を満足してもらおうという結果はご容赦いただいて替わりに筆者の人生観や恋愛観を披露してみたい。

「恋は生命がけ」
これが信条である。
どんな恋だって人間の生きる喜びの元になっている・・・ような気がしている。
「恋こそ人生なのだ」
色恋のない人生なんて・・・色彩の無いモノトーンの灰色がかった人生模様。
小さな恋愛・・・そもそも色恋に大小などがあるのであろうかと思えるが・・・自分にとっての価値づけの大小はあるように思える。
人間が神から授かり賜った「性欲」とそれにまつわる喜びをよもや「おろそか」にするまい・・・と毎日固く決意してしまうのだ。
毎日の仕事や家事、クルマの運転、バイクの運転、映画鑑賞、その他諸々の趣味や色事以外のさまざまの作業に忙しくしていても脳の中は桃色に染まった「色恋」でアタマがパンパンしている・・・ということがよくある。

所謂、妄想という類だ。
そういうアタマの作業で1日が過ぎる。
そうして実際の「ラブアフェア」・・・これはお互いの体調に準拠するが・・・「堪えられない」喜びを自らの精神と肉体にもたらしてくれる。
そう、生きる喜びの全てが「そこ」に詰まっている感覚があるのだ。
これは自分だけに特有な感情、意識、感覚、欲望の状態なのであろうかと時々自問する。
イヤイヤこの事は人類全てあまねくその心や肉体に内包されるひとつの「生理現象」なのだろうと思い直すのだ。

渡辺淳一の前期の小説「無影灯」に出てくる直江庸介という若い医師は「多発性骨髄腫」という死病をかかえ、常に「死の影」に脅えながら「生きている」訳であるが、その行動たるや極めて放埓で乱脈で淫蕩な「性衝動」のおもむくまま奔放で猥らな生活に沈潜しているのだが個人的にはよく共感できる。
死を前にした人間の、それも男のソレは大概そんなモノだろうと思える。
戦時中も新婚の男ほど生命がけで帰還するそうで、それは「性」への強烈な欲望に根ざしているのではないか・・・。
こう考えると強烈な「色気」という類には「死の匂い」が香り立つ・・・という気がする。

ありがとうございました
M田朋玖



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