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| ■ 溶けてしまいそう・・・愛 | 2026. 4.17 |
恋愛経験をお持ちの方なら表題の言葉に少しは共感してもらえるかも知れない。 恋愛の対象と一体化する感覚を敢えて表現するなら「溶ける」「蕩ける」が適当と思える。 愛とは他者との融合、合体、一体化なのだと思える。 その瞬間におとずれる快楽は身も心も「蕩かす」ほど強烈な感覚で、神が与えたもうた生物の喜びの中でも第一等の部類に入ると言われている。 「性欲」は人類の進化発展、永続に不可欠な「欲望」なんである。 これが無くなると生物は繁殖を求めなくなる。 特に人間の色恋の出現には絶対的に必要な「欲」であることは論を待たないであろう。 この欲求の滅衰が現代人に指摘され始めて久しい。 結果としての人口減少だ。 特に先進国の「それ」が著しいと言われている。 北欧三国、イタリア、韓国、そして日本。 我が国の出生率の凋落が激しく今世紀中に6000万人〜8000万人になると試算されている。 個人的にはこの溶けてしまいそうな色恋をこれまで5〜6回くらい経験したことになり、或る意味結構な「艶福家」と言って良いかも知れない。 20代、30代、40代、50代、60代と40年間の間に6回なので実に有難いことである。 殆んど経験できていないのは?ないかと余計なお世話だが思える人も世間には数多くおられるように思える。 あらゆる物語はこの愛とそれに連なる欲望に根ざしており、絵画や音楽、文学、小説、映画などさまざまの手法でそれが表現されており総体的に見て個人的にはそれぞれ「美しい」と感じさせられる。 この「とろける」ような快楽は脳のドーパミンやエンドルフィン等の快楽物資の作用によるものであるが、勿論依存性もありSEX依存、ポルノ中毒、恋愛依存などが病的な類としてリストアップされている。 それも精神的というより肉体的なモノであるので先述した或る種の「芸術」にまで昇華されないと多分に動物的な様相を呈するようになる。 これらの欲望に取り憑かれ、たとえば「浅ましい」とか「卑しい」とかのレベルまで人間の存在を落としめることもある。 「自分が無くなる感覚」を突き詰めて行くと「死の感覚」に果てしなく近づいて行って実際にそれに近似した行動を選択する人も存在するようだ。 それこそ「溶けてしまう」ような「快」は所謂「エクスタシー」とも呼ばれるが、この言葉は「エクス」(外に)「タシス」(立つ)との語彙を持ち「自分の外に出る」「忘我の境地」「無我の境地」に至る状態と言えるかも知れない。 「自己犠牲」という言葉があって、感動する物語の殆んどにこれが含まれていることが多い。 日本国では「特攻隊」やそれらの意志を醸成した「武士道」などの日本文化「大和魂」には愛のための「自己犠牲」を美化しているようにも見える。 また「自己犠牲」には「性的快楽」に似た精神的快楽が存するのであろうかと考える。 これはひょっとしたら「ある」のかも知れない。 世の中で話題に上る種々の物語や美談の多くが「無償の愛」や「自己犠牲」的であることを見ればわかる。 自己の精神や肉体を「溶かしてしまう」人間の動機についてはあらためて検討してみたいと思う。 それは思いの外、大して「純粋」でも「美しく」もなくドロドロとした快楽欲求の賜物かも知れないのだから。 ありがとうごいざいました M田朋玖 | |

