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| ■ 静黙緩徐・・・瞑想生活? | 2026. 3.23 |
最近ふと思いついて毎朝の「自省録」に書きつけているのが表題の言葉だ。 主として精神活動の問題と思ったが態度ふるまいの問題、自己表現の問題かも知れない。 静:人となりとしての全体の趣味として「ウルサイ」より「モノ静か」の方が好もしいのではないか・・・と思える。 これは意識しておかないと生来的に「せっかち」「せかせか」人間であるので・・・少なくとも自覚しているので・・・心もカラダも一種の静寂に保っておこうと意図するのは至極当然のことと思える。 それで「静」を意識すると不思議なことに逆に饒舌になってしまったりする。 勿論、すぐに我に返り「モノ静か」に戻るのであるが、このスイッチが結構難しい。 コミュニケーションにも流れがあるらしく、急に「黙り込んで」周囲に気を使わせても悪い。 多分にアタマを使うところだ。 黙:沈黙は良いことだと思う。 男はいくらか無口の方が好もしいというのが筆者の持論でもあり世間の通説でもある。 「口は禍の元」「沈黙は金なり」など歴史的風雪に磨かれた諺には圧倒的な説得力がある。 余計なコトは言わない。 自分の事や周辺の人々に関する話題は出来る限り控える。 これは社会人として当たり前のことと思えるが、一般的には寄るとさわると人の噂話や果ては悪口など見苦しいことこの上ない・・・と個人的には考えている。 面倒臭いので沈黙が一番だ。 緩:所謂リラックスだ。 全身の筋肉の緊張を必要に応じて「緩めて」あげるのは自分に親切な「行為」だ。 これも慣れていないとすぐに緊張してしまうのが多くの日本人の特徴だ。 上手なアスリートなどこのリラックスが上手だから意識しないと出来ない・・・イヤ意識しても出来ない人がかなりの数おられる。 徐:ゆっくりという意味だ。 せかせかと歩く日本人は東京に多い。 歩く速度が宮崎県や鹿児島県と比べて倍くらい早いと感じられる。 勿論、例外もあって所謂田舎人であっても歩行速度の速い人は結構居られる。 それでも20年以上前に経験した極端にゆっくり歩くアメリカ人の女性の「心理セミナー」講師の優雅に歩く姿はとても「美しい」と感じた。 心の「落ち着き」と「愛」を感じる歩き方であった。 個人的には早く歩く女性を好まない。 チンタラ歩くというのではなく一歩一歩慎ましやかに優雅に歩く背の高い女性としばらく付き合ったことがあるが、その時には確か40代の女性であったが強く「憧れ」を感じるほど魅力的だと思った。 概して歩き方の美しい女性という者に出会ったことが無いので「ゆっくりリラックスして優雅に歩く」ということを意識して実行したら老若男女いずれの人も「愛と喜び」に満ちた素晴らしい「カリスマ」になれるかも知れない。 それほどに現代人は必要以上にせかせかして落ち着きが無いと感じる。 自分だけでもマインドフルネス的、瞑想的に「ゆっくり歩く」「ゆっくり行動する」ということをしてみたい。 そうすれば真の意味の「瞑想生活」になるかも知れない。 ありがとうございます M田朋玖 | |

