[戻る] |
■ 髪 | 2025. 6.30 |
子供の頃から悩みの一番は髪だった。 とにかく硬くてゴツゴツして縮れていて嫌だった。 父親が綺麗で滑らかに艶やかに光る直毛だったのでさらにコンプレックスだった。 それに当時、小学校時代から世間に出始めた「テレビ」で観る子役達の、少年達のサラサラとした風になびく髪に心から憧れた。 ついでに同級生達が殆ど全員かぶっていた野球帽がこの自分の髪質の為に似合わない・・・と思い込んでいた。 身体的コンプレックスは所謂胴長短足というヤツ。 これまた映画俳優・・・というより大スターだった小林旭や石原裕次郎や高倉健のように長くスラリとした長身と足長に憧れたから尚更だ。 彼ら大スターの髪もフサフサとした直毛で額が狭く豊に生え詰まっている。 自分の容姿が何故こんなにひどい状態なのか。 さらに親からは「アタマが悪い」「バカ」「アホ」とまで言われつづけ少年時代は全身コンプレックスのカタマリだった。 親から褒められたことは記憶する限り殆んど無かった。 ・・・と言う訳で中学生になり寮生活が始まるともっと容姿の「ひどい」連中がいっぱい居て、大浴場で鏡を大勢と一緒に見ると自分の姿を見て初めて気づいたのであるがそれは意外に「マンザラでもないなあ」と言う感想であった。 それでも髪については相変わらず床屋に行くと縮れてぶざまにひん曲がった髪の為にどうしても髪型がうまく整わなくてイライラしていた。 少年らしく髪はとても多くてフサフサとしていたけれど、切っても切ってもうまくカッコよくならない。 とにかくムツカシイ髪だった・・・と当時は深く悩んでいた。 それで床屋が大嫌いだったけれど当時(大学時代)から長髪がブームで大流行。 誰でも彼でも長髪、中には肩までのロン毛も普通にあってこれが幸いして一気に髪の悩みが解消した。 というのは自分の髪がライオンの鬣のようにフサフサと生えていたので数ヶ月に1回風呂場で自分で髪を切っていた。 これは自分では相当にイケてて写真で見てもマズマズであったとの感想を持った。 それでも禿頭恐怖というモノが常にあって前髪を中心に髪の力の無さを気にしていた。 酒を飲んだ時などよくそのこと・・・髪のこと・・・で深く落ち込んだものだ。 20代後、開業医時代。 この時にも髪の悩みの無い時代だった。 相変わらず風呂場で自分でカットして満足していた。 とにかく当時は若者らしく、髪はフサフサだった。 ところが自然にトップの髪が少なくなってサイドを短く切ってゴマカスようになったのが30代半ば。 白髪染めも始めた。 染めると髪が太く元気になる。 瞬間だったがそれから少し後頭部が怪しくなったのが40代。 45歳頃をピークにどんどん髪が少なくなった。 それで50代、60代前半まで出来るだけ鏡を見ないように過ごした。 殆んどスキンヘッド手前まで髪が減った。 全くハゲアタマと言ってよいレベル。 ところが60代半ばに転機がおとずれた。 或る女性との付き合いが始まり・・・髪の毛の禿げた部分・・・主に後頭部と前額部に育毛剤を無理矢理スプレーで吹きつけてくれる。 ついでに髪も適当にカットしてくれる。 また染めるのをやめてしまって白髪にしたところ少しずつ髪が生えるようになった。 それもどちらかというと真っ白に近い綺麗な白髪に。 勿論、完全医洗髪もやめてしまった。 これは作家の五木寛之氏が述べていたように「洗髪しないと髪が生える」を信じて実行して来た。 デュタステリド・ミノキシジル・亜鉛などの脱毛予防と育毛発毛を促す薬物摂取と日常の食生活、禁酒、禁煙、大量睡眠、ストレス解消行動と色々な全身的企てを講じたところ何と白髪ながらいつの間にか髪が「一見」はフサフサに見えるようになった。 これが5年前くらいになる。 それでも年齢の為か少しずつ髪も減っているようでもあり増えているようでもあり相変わらず「悩み」はつづいている。 YouTubeの自分の動画で確認する限り見かけ上は「増えている」ように見える。 気のせいかも知れないが・・・。 ありがとうございました M田朋玖 |