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■ 花冷え | 2025. 4.11 |
今年の桜は晴天に恵まれ、例年になく絶好の花見日和・・・それも週末に・・・だったので3月30日〜31日と2日つづけて花見をした。 それは極プライベートな秘しそやかなモノで風の強い土曜日の午後と日曜日の午後。 美しい水色に染まった春がすみの山影を背景に自撮りした桜景色は自らの白いセットアップスーツと良くマッチして記念碑的に風雅であった・・・と自讃している。 その絵図(スマートフォンの壁紙にしている)を見ながらこれを書いている。 春にはうつ病が悪化する。 勿論キチンと治療されている方々は例外的に良調である。 さて人間の脳は、ことに所謂文明人においては言葉で埋め尽くされている。 それらが良き類にしていると・・・たとえばうれしい、たのしい、しあわせ等であれば良いのであるけれど殆んどの人々のアタマの中は「不安」でいっぱいなのである。 それは仕方の無いコトで、文明人の目にする全ての物や現象や事柄に名前(言葉)を張り付けて「喜んで(?)」いる。 或いは「苦しんで」いる。 それらの悲喜こもごも言葉の侮れないチカラの悪い方の影響に根ざしていると仮定することができる。 宇宙の誕生から生成、発展、進化までをカオス(混沌)からロゴス(秩序)への進展とも言える。 この秩序、区別・・・言葉が曲者で或る意味全ての苦しみの根元が言葉とも言えるし、喜び悲しみの源もこの言葉に依拠しているとも考えられる。 それら人類の秩序の象徴にもある言葉というモノが両刃の剣のように人生を素晴らしく豊かにもするし、また貧しくもする。 このことに気づいている人は少ない。 人を幸せにする・・・元気にする言葉というモノがあると一方で不幸にするモノも当然ある。 このロゴス(言葉)の世界から抜け出す方法には瞑想や座禅、激しいスポーツ、鍛錬、修練、修行などがあるけれど、ロゴスを使って「喜び」や「楽しみ」や「幸せ」を勝ち取ることは意外に容易である。 それは、それらの言葉を喋ったり口走ったり文字にしたいすれば良い訳で、これらのカラクリを知るとオソロシクテ・・・マイナスな否定的な言葉とか曲々しい病気の名前とかあだやおろそかに口に出来るモノではない。 「桜」という花は一種「死」のイメージがして元来いくらか不吉な類であるらしい。 そして「花冷え」という言葉の持つ響きには或る清爽な印象がある実際に冷たい春風などいう気候の「空気の動き」「大気の揺れ」が桜の花びらをチラチラと厳かに揺らす様をしみじみと眺めていると何かしらの陶酔感が胸底に湧いて来て、時にはからずも落涙するほどである。 因みに「桜」の花言葉は「精神の美」「優美な女性」「純潔」とある。 ナルホド、確かに美しい。 なので、花冷えはキモチがイイのかも。 いかにも清らかな風が・・・。 ありがとうございました M田朋玖 |