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■ 冷たい雨・・・「会いたい」 | 2024.12.11 |
松任谷由実の曲で「冷たい雨」というのがある。 どちらかというと明るい歌だ。 今年も11月中旬に入って急に寒くなった。 11月27日は個人的に深い付き合いのあった女性の命日だ。 10年以上、一緒に暮らした。 その日はひどく寒い晩で、夕方からは雪まじりの冷たい雨だった。 心肺停止の報を聞き、午後3時には熊本市から車を飛ばして人吉に帰った。 平成20年11月27日、午後7時23分。 彼女は息を引き取った。 愛する人・愛した人の喪失ほど深い悲しみを心に生じさせるモノはない。 人生における悲しみという強い「痛み」の感情を深く長く「心の病」として味わった。 沢田知可子という歌手の「会いたい」。 歌詞と曲調が「そのまんま」だった。 その時の印象として・・・。 実際に思い出の場所として何故か海に行って浜辺を歩いたりした。 高原に星を見に行ったりもした。 人間というモノは深い悲しみを体験すると何故か海とか夜空の星とか、自然界の美しい類に引き寄せられるようだ。 満天の星々達に死者達の魂が一時的にでも宿っているみたいに感じる。 また広漠とした海は人間のあらゆる感情を飲み込んでくれるみたいだ。 そうして「風」。 お墓参りの時に頬を撫でる優しく心地良い空気の揺らぎもまた死者達の愛の囁きのようだ。 父の死が昭和53年6月30日。 母の死が平成16年1月10か。 そうしてもう一人。 命日が不明であるが、かつて愛した女性を失った。 別れの言葉が耳に残っている。 「富士山が綺麗よ」 その間隙にも「愛」の存在が確かにあった。 別れた後であったが愛する人々との別れに「死」という厳粛な隔絶がある。 「別離」の悲しみを思いきり経験させられたのは確かなようだ。 そうして令和2年11月30日。 近々での「喪失の痛み」は何と「生き別れ」であった。 この悲しみはいくらかの怒りを含んでいるが、悲しみには変わりがない。 この「生き別れ」については不思議なことに「会いたい」が伴わない。 何故なんだろう。 先述した沢田某の歌詞も死者に対して向けられた「会いたい」だ。 この感情はよく理解できる。 そのことを強く願ったものだ・・・。 当時(死なれた後10年近く・・・)からするとずいぶんと楽になったが死亡による喪失。 それも年下のパートナーとなると激しい心の痛苦には独特のモノがあって、強い無力感やさまざまの後悔。 自暴自棄への強い欲求があり、これを抑える為に飲酒を慎むこと、クルマやバイクを飛ばさないこと・・・という2点を心掛けた。 毎月の法事(命日)にご両親の元を訪れたのが「心の癒やし」につながったと思う。 亡失した娘の“男”である筆者を快く、温かく受け入れて貰ったのはとても有難かったと心から思う。 それでも毎年11月下旬に降る雨は「その日」を思い出させ、非道く心を切なくさせられる。 人生は悲しみの連続だ。 出逢い、めぐり逢いはともかく「別れ」の苦しみ・・・仏教用語で愛別離苦というらしいが何故か11月下旬にその経験を「死に別れ」「生き別れ」と2度もさせられた。 それで誕生日周辺の運気低迷との知識を手伝っていくらか用心深くはしているつもりだ。 突然の別れ・・・これは生死に関わらずかなり「痛い」。 発狂しそうだった。 今や、やっと過去形の表現ができるが55歳から70歳まで或る意味この心の中の「格闘の時代」であったように思い出される。 そういう訳で11月の「冷たい雨」はどうしても強く心の痛みを思い出される。 冬枯れの草木や青々と鋭く山影が灰黒色の曇天の空を切り取っている。 心寂しい風景とあいまって我が心象はジメジメと湿り気を帯び、冷たく濡れそぼっている。 「氷雨」という歌がある。 これは「死なれた」女性の心情をリアルに表現していて悲しい。 鎮魂の為にと時々歌ってみるが実に悲し気な歌だ。 かつて愛した人、愛してくれた人の死。 その為に流された天の涙のように降りつづく「冷たい雨」。 過ぎ去った月日・・・それは16年あまりになるが、この悲しみは今もありありと心の中にあって時々発狂するのではないかというくらいに心が泡立つ。 死者とは二度と会えない。 少なくとも現世では・・・。 だからこそ強く「会いたい」と願う。 沢田知可子の「会いたい」、そして「氷雨」が、この深い悲しみをさらに深めさせ、そして癒やす。 ありがとうございました M田朋玖 |