コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 旅2024.11.19

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・」
松尾芭蕉の「奥の細道」の有名な書き出しである。
芭蕉その人も所謂「漂泊の俳人」に数えられるが、意外にもその生涯で「漂泊」をしたのは数年間で、殆んどの常人と同じく「定住」の方が長いようだ。

「住所不定」というのは警察的にはひとつの犯罪であるらしい。
何故なら或る個人を国家的に特定するには名前と同時に住所が必要になるからである。
旅券・パスポートからして住所と住居を固定していなければ発行されないのである。
人間の場合、完全なる「漂泊」というのは或る意味、どだい「無理な状態」なのである。

「コスモポリタン」という言葉が流行した。
「定住しないで世界を放浪する」という人々を指すらしい。
子供の頃、あまりにも家族的しめつけ・・・両親の監督、監視が厳しくて強く強く「自由」に憧れた。
中学高校になると寮生活だったことも影響しているだろう。

「漂泊の人」「住所不定」「コスモポリタン」
筆者の成人後のひとつの「夢」であったけれど・・・。
今やその真逆、地域にどっかりと根を下ろし、大きな借金や、かつては家族(妻子)や仕事に縛られて毎日を退屈なルーチンに従って規則正しく生きている。
住所なんか44年も不変だ。
勿論、学生時代から独立開業、結婚、新規事業(億単位の借金)・・・どんどん自分を縛り付けて喜んでいるかのようだ。
コスモポリタンなんて夢また夢・・・いつの間にか「旅」そのものを厭うようになった。

旅から旅へ・・・な〜んてトンデモナイ。
この毎日のありふれた変化の無い日常を今や「愛する」ようになってしまった。
それでも強制的な「旅」・・・いくらか義務的な講演会や学会出席や「浮世の義理的な海外旅行でさえ・・・韓国、香港、ネパール、イギリス、イタリア、フランス、ドイツ、ハワイ。アメリカ(サンフランシスコ)、スイス・・・あらためて数えあげると20回近く出かけた。
我ながら大したモノであると思う・・・と言うのは一般的に開業医というのはその職業柄、海外旅行とかできないモノなのであると思う。

このコラムも「旅の途上」で書いている。
広島市のヒルトンホテル。
ラウンジバーZATTA。
生バンドでポピュラー音楽を流している。
外国人(欧米人が中心)だらけ。
海外に来たかと思えるほど。
お客も8割方外国人。
少しだけ孤独を感じる・・・心地良い孤独だが・・・。
それは自由人としての本能的な類であろう。

半ば義務的に受けた講演会が「ひけて」立ち寄ったバーでの経験はまさしく日本語の通じる海外旅行だ。
若い男のバーテンダーが妙に頼もしく感じる。
唯一の味方のようで。
それ程に自分が浮いていると感じる。
たまには良いが元々いつも浮いている。
地元では「そうらしい」。
話しに聞けば・・・。
あらためて旅に戻るが、旅を厭う最大の因がその準備の面倒臭さだ。
最近は旅慣れてますます軽装、小さな荷物になったがそれでも乗り物へのアクセスに時間厳守というのがあって何となく息苦しい。
飛行機だとさらに「保守検査」なんていうメンドクサイ手続きがあるし、海外旅行だと入国・出国やらの手続きがあってモノスゴク面倒臭い。

ついでに海外だと犯罪、主として窃盗や強盗や種々のトラブルへの配慮や警戒が必要になる。
それらの緊張感は自宅に帰りつくまでつづく。
それらの緊張を「快」とするか「不快」とするかは個人の考え方、感性に準拠するが、そのことを解決しないで・・・つまりその「緊張を快と捉える」という覚悟を持たないで出発すると旅そのものが苦行になってしまう・・・と思える。

それで旅をひとつの重大な人生の責務を果たす為に必要な「緊張と冒険」なのだと「思い込む」ということが大切になってくるのではないだろうか。

とにかく旅は苦手である。
けれどもそれを「思い出す」時、ひとつの大切な楽しかるべき「思い出」になるのも確かなのだ。
それはひとつの人生と同じように・・・。

ありがとうございました
M田朋玖



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