コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 自慢の息子2024.10.25

筆者には有り難いことに息子が3人もいる。
因みに娘は一人。
先日、鬼籍に入られたアラン・ドロンにも合計4人の子供がいてそれぞれに立派に成人して自立しておられると聞く。
彼の美貌の男性も莫大な財産を残されたらしいので相続争いも起こるのであろうか。
あまりの巨額過ぎてそれが起こらないかもしれない。
なぜならばキレイに4等分してもそれぞれに莫大であるからだ。
こういう場合、中途半端な額が一番良くないようだ。

「色男、金と力はなかりけり」

この諺にも異論があるようだ。
容姿の良い男性はそうでもない男性より平均収入が多いらしい。
それに女性のソレよりも「格差」が大きいとのこと。

そりゃあそうかも知れない。
一般企業もさることながらホスト業界などその最たるモノだろう。

ところで近頃その顧客の獲得において勇名を馳せていた「青汁王子」こと三崎優太なる若者もその美貌たるや芸能人レベルであるが、株の信用取引とやらで10億近くあった財産を失ったらしく、今は都内の某所でつつましく一般庶民並みの生活をしておられるようだ。
件の人物の場合、九紫火星という星で幼少期から青年期までは華々しい活躍、即ちその鋭い頭脳と弁舌と容姿とで巨額の富を一時的に得ることがある。
しかしアラン・ドロンほど堅実でも無く、派手好きな気性の為に蓄財の才についてはやや弱い。
また自慢の容姿も年齢と共に・・・それは50、60歳頃・・・急激に衰えるので所謂「長持ちしない」美男子と言える。
まさに「少年老いやすく学成り難し」だ。

ところで話を戻すが息子というのは言わば親父としては自分の分身のような気がして何かしら人生の土台を保持しているような安定感を感じる。
所謂「跡継ぎ」の存在は精神的にとても有難いモノなのである。
友人の中には娘さんだけの父親もおり、余計なお世話であるがやや気の毒に思える。
娘だとその可愛さは変わらずとしても、この「分身感」が落ちると思えるのだ。
女親と娘の関係も同様かも知れない。

過日、大阪で医者をしている・・・4年目・・・の息子に会いに行ったが、晩飯・・・和食のコース・・・を奢って貰った。
素直に嬉しかった。
誇らしくも思った。
軽くコーヒーを飲んで帰ったのであるが、何とホテルまで送ってくれた。
大したもんである。
実の父親(筆者)よりはるかに立派で優れた人格を持っているようだ。
これらだけで俯瞰的に鑑みて祖父、父、息子と三代にわたって人柄というか能力というか才能においてNo.1は祖父(筆者の父)、平均的な総合力において今のところは父(自分)、人柄・人格においてNo.1は息子と勝手にランキングしている。
祖父は戦前に陸軍士官学校に入学できたことはその身体能力において、さらには学業成績において相当に優れていた訳で、筆者(父)においては全てにおいて祖父や息子に劣っている。
少なくとも努力する能力や人情家ぶり等、子供の頃からの人間としての深い優しさにおいて筆者自身はこの息子に到底かなわない。

30歳そこそこにして人並み以上に貫禄もあったりして安定感バツグンである。
とても自分の息子とは思えない。
人間の評価など軽々にはすべきではないと思うが、癖なのかついついしてしまう。
人間には無限の可能性があるとは筆者の「考え方」のひとつであるが、自分の身内・血族についても従業員・スタッフ・クライアント・・・についても全く同様の考えであるけれど息子となるとどうしても筆者の場合「甘く」なってしまう。
世の多くの父親達はどう思っているのであろうか。

3人の息子達もそれぞれに社会に出て一人前に自分で稼いで生活している訳で、長男については去年結婚までしてとても素敵なお嫁さんを貰ってくれたのでこんな嬉しいコトは無い。

息子達に自分の思いどおりにしようとは微塵も考えていないが、少しは社会で世の中の為に、人の為に役に立つ有用な人間になって欲しいと望む。

分身とは言え生身の別の「人間」なのであるから・・・それこそ自由に伸び伸びと生きて欲しいと思う。
何はともあれ3人の息子は「自慢の息子」なのである。
ありがたいことだ。

ありがとうございました
M田朋玖



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