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■ 創造的な人生 | 2024.10. 9 |
「創価学会」という呼称の宗教団体がある。 信者は世界中におられるらしく、日本国においても「立正佼成会」と双璧を成すレベルの仏教系巨大宗教団体であるそうな。 さて「創造的に生きる」とはどういうことであろうか。 英語では「クリエイティブ」。 芸術的な・・・はたまた職人芸的な・・・急には思いつかないが何気に立派そうな、或いは楽しそうな「生き方」「響き」に感じられる。 「毎日を創造的に生きる」 それは一日一日「新しい自分を創造する」「自己を成長させる」と言い換えても良いだろう。 何かしら世の中に有益な「価値」を創造しながら「生きる」というのはとても素敵なコトに思える。 先述した宗教団体も世評の云々はともかくそんな人生を推奨しているなら素晴らしい教義ではないかとも思える。 別に筆者が「学会」に帰依している訳ではないけれど。 勿論。 自分にはどんな価値を創造できるのかと考えた時に俄かにはそれらがアタマに浮かばない。 世界、世間、世の中に対してならまずは「仕事」かも知れない。 何らかの事業を立ち上げ、それを成し遂げたのであればそれはまだ素晴らしいコトだし明確に「価値を創造」したと言える。 子供を持つ女性などもっと創造的だ。 「子供が全て育てたようになる」ことは無いが、愛と情熱をもって慎重に正しく「子育て」や「教育」に当たった結果として素晴らしい芸術作品のような立派な人間が世の中に輩出されたのであれば素晴らしい「創造」をしたと言えるのではないか。 男性における(時に女性)仕事の完成完遂(原始人類の狩り)の女性における子育て・・・これは悠久の太古から人類に与えられた崇高な使命であるのだ。 また人間だけが未来を、現在を創造できる。 毎日の選択された各々の作業、タスクを創造的な類と被創造的な類とに分けて考えるというのもとても良いアイデアなのではないかと思える。 毎日だらだらと無為に過ごす時間も時には必要かと思えるが、一種の気合を入れて創造的作業・・・たとえば文章作成、文筆・詩歌の創作、手紙、絵画の制作、各種のクリエイティブな作品やデジタルな描画描記、新しいアイデアの創造、新しい仕事のやり方の発案など・・・創造的に生活をする・・・というのは実は誰にでも簡単に出来るモノなのではないだろうか。 こうして仕事の合間に書き連ねている文章も或る意味しっかりと強く「創造性」を帯びた行為を感じる。 急に流れる時間が生き生きと輝く。 自分の人生は輝かしいモノにするにはこの「創造」。 人間だけに与えられた天賦の才、天与の能力を十二分に発揮して生きることの素晴らしさを一度でも味わってしまったら癖になるほど「脳が喜ぶ」のを感じる。 美しい文章の・・・美しい文字の手紙でも良い・・・。 愛する人達にそれを書き上げるというのも良いかも知れない。 人間によって創造されたモノ(芸術、建造物、文章、言葉)は後世に残って行く。 筆者の創造したコラム(文章)、YouTube動画(映像と言葉)は残って行く。 所謂「生きざま」も残って行くらしい。 これらのこと考えただけで心がウキウキ、ワクワクする。 人間の脳は多分「創造」が大好きなのだ。 大脳の前頭連合野「オデコの部分」の大好物はその持ち主の「創造」なのだ。 多分。 脳の報酬系の快感神経伝達物質・・・それはドーパミンと称される・・・が大量に分泌されるのだ。 それでほかの快楽ホルモンであるエンドルフィン、セロトニン、オキシトシン(愛情ホルモン)と組み合わさると素晴らしい快楽を人間は体感、経験することが出来ると思える。 ところで敢えて創造的と謳わなくても単に個人が人生というモノを意識して「生きている」だけで「創造」なのではないかとも思える。 人間の行為行動は他の生物や動物と違って自然的に創造的であるのだ。 人間には「選択」という貴重な「権利」を持たされている。 時にはストレスと感じさせられる選択は人間の創造の最初の関門なのだ。 選択し、決断し、実行する。 それらの「行為行動」の結果として得られる成果は全て「創造物」と言えるのではないだろうか。 単にボンヤリと生きているような毎日単調な正確な時計のように決まりきった日常を過ごしている人でさえ総体的に見れば「創造的」なのだ。 次の人物は「単調な人生」というひとつの唯一無二の個性的な人生を送ったのだから・・・。 大哲学者のイマヌエル・カントはそれこそ針で測ったような極めて几帳面な生活を送ったらしいがそのアタマの中の活動は極めて「創造的」であった。 哲学的に生きることも「創造的な生き方」に通じると思える。 ありがとうございました M田朋玖 |