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■ 2024年4月13日春ツーリング | 2024. 4.27 |
令和6年4月13日土曜日は久々の晴天。 正午に思いついて3番目の息子(一番下)に電話をかけた。 「ツーリングに行くぞ」 快諾。 そちらに行くからと片道30kmほどの隣市・八代市の彼の居住地に早速オートバイを走らせた。 ハーレーダビッドソン・スポーツスター883cc。 皮ジャケットにジーンズ。 バイクシューズにハーフフェイスのヘルメット。 いくらか肌寒いが晩春の心地よい風がカラダを通り抜ける。 JR八代駅で待ち合わせ。 国道3号線を鹿児島方面に下り芦北町の弁当屋で一服。 日陰で缶コーヒーにタバコを二人で楽しむ。 ヤンキー座りでチョイトーク。 話の流れで人吉まで帰ってみることにした。 夜は「実家」に泊まれば良いのだからと。 人吉市に着いてからそのまま多良木町の王宮神社(筆者の父親の実家)にお参りに行くことにした。 親子で参拝し人吉市に帰着し夕食を約して午後6時に別れた。 午後7時。 クルマで自宅に息子を迎えに行く。 夕食は「松本食堂」という名称のコジャレタ飲食店。 ソーセージとモズクと生ビール。 スナックをハシゴして午後11時にラーメンを食べそれぞれ帰宅した。 大した話もしない。 何となく「ツーカー」で心が通い合う。 楽な息子だ。 口数も少なく大人しい。 どちらかというと従順な方だ。 読書好き、タバコ好き。 酒も少したしなむ28歳の息子。 さらにバイク乗りで気も合う。 読書傾向も似ていて共通の話題に「誉田哲也」で盛り上がる。 平成8年1月17日生まれ。 阪神淡路大震災の翌年。 丁度1年目の当日に生まれた。 筆者が44歳の時の子供である。 幼児期からメカニカルな不思議な絵を描き、高校時代の自室はまるで工学系の大学の実験室のありさまであった。 どこの遺伝子だろう!? 地元の進学校を出て宮崎大学工学部、同大学院を出てYAMAHAの子会社に就職。 数年前から「辞める」と言っていたが何とか持ち直して4年目。 クルマもバイクも所有してそれぞれローン月2万円、80万円一括で購入。 軽のダイハツ・タフト(クルマ)、YAMAHA・DragStar400cc(バイク)。 筆者自身も28歳当時はトヨタ・ソアラ2800cc(クルマ)、ホンダCBR400(バイク)をローンで買って乗りまわしていた。 不思議な共通点だ。 ほぼ40年の時間を経てまさか我が息子とツーリングとは。 「長生き」はするものだ。 今のところ特に体力の衰えは感じない。 普通に台東に42歳違いの息子と「遊べる」というのは実に有難い。 最近はバスケの練習も再開し、時々自分の肉体の状態はいったいどうなっているのだろうと考える。 モノの本によれば70代というのは意外に「元気」らしい。 勿論、日頃の健康管理を厳しきしている人に限られるのだろうけれど・・・。 年齢と共に健康度に開きが生じるのは世間の常識。 いつまで元気にしていられるものなのか。 その動機づけに息子達が一役買ってくれている気がする。 この5月2日。 連休の初めに二人で泊りがけのツーリングを「計画」して4月13日、夜のラーメン屋を後にした。 ありがたや、ありがたや。 ありがとうございました M田朋玖 |