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■ 四月の風に吹かれて | 2024. 4.17 |
50年近く前。 今頃(4月)には大学入学を果たしゆったりのんびりと過ごした学生時代を懐かしく思い出す。 遅い黄昏。 涼やかな夜風。 大学入学という難関を無事くぐり抜けたという安堵感。 世の中のすべての風景が心地良く心身に染み込むように感じる。 何という快楽。 自らの将来についていくらかの不安はあるものの、大学浪人時代のソレと比較すると天と地ほどの落差がある。 当然だ。 あらためて述べるまでもない。 そんな季節の思い出深い一幕を少しここに述べてみたい。 20歳で大学一年。 チョットした事情があって高校を4年で卒業して浪人一年。 当時横浜市に居していた叔父(父親の長兄)の家に下宿し、同じ神奈川県の平塚市にあった東海大学のキャンパスに通学した。 本来厚木で乗り換えるところ平塚市の大根駅(大学のキャンパスの最寄りの駅)から小田急線に乗ったままだと東京の新宿に着いてしまう。 大学一年の頃は毎日のように授業には出席せず「スナックX」という店で昼間から酒を飲んだ。 夕方にはすっかり酔っ払って電車に乗り込むと必ず眠ってしまって着いた時にはいつも新宿駅。 ヤレヤレ再び小田急で厚木まで引き返し横浜まで戻ることを繰り返していた。 それでやはり親が見かねたのか大根駅の近くに6畳一間のアパートを借りてくれた。 ついでにクルマ(白のセリカLB1600ST)を買ってくれたので大学生活が急に快適になった。 勿論お金には不自由していたが、いつも食事を切り詰めタバコとガソリンは切らさずに暮らしていた。 当時の体重は身長178cmに対して65kg以下とまるで骸骨のような外観であった(当時の写真で確認)。 毎日酒を飲み本を読み悪友と集い入学初めの2年間は殆ど遊び暮らした・・・と記憶している。 夏休みなどで実家に帰っても連夜のようにクルマで出かけ、家にはほとんど帰らず親を呆れさせた。 熊本市内の浪人時代のかつての悪友達と遊び呆けていたのだ。 そういう態度だったので1年生の夏休みには父親が大学から連絡を貰い「アナタの息子さんは学業成績不振であるので必ず留年するであろうから覚悟しておかれて下さい・・・」と。 因みに成績順位はビリから3番だったと。 それで留年が怖くなり・・・母校では2年連続の留年で放校・・・せっかく入学できたのに放校にでもなったり卒業できなかったりしたらオオゴトだと思い一念発起して夏休みの後半は相変わらず遊び呆けながらも勉強道具をクルマに満載して暇を見つけてはコツコツ勉強をした。 結果的に留年は免れたものの成績は学年中下位で経緯した。 当然だ。 酒とタバコ。 クルマにも乗ったので或る晩には飲酒運転でパトカーとカーチェイスを演じた。 図らずも・・・。 これはもう奇跡的に逃げ切ったのであるが、なんと道を間違えて他家の庭に入ってしまったのだ。 結果的にこれが幸いして「逃げおおせた」訳だが・・・。 植木鉢を数十個壊しながら我が愛車をその家の庭先に突っ込んだまま放置して翌日に日本酒の一升瓶を提げて誤りがてらクルマを取りに行った。 その家の主人は実におっとりとした好々爺で殆ど何も言わずニコニコしている。 ありがたかった。 実に苦い思い出だ。 反省しきり。 しばらく酒は飲まなかった。 そんな調子でよく無事卒業できたと思うが、これはひとえに親しい友人達のおかげと思う。 またそんな自分を温かく見守ってくれた両親には深い感謝を捧げたい。 ありがとうございました M田朋玖 |