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■ 真夜中のナイチンゲール | 2024. 4.13 |
同名の竹内まりやの歌がある。 テレビドラマ「白い影」の主題歌だ。 ご存知フローレンス・ナイチンゲールは1853年10月に勃発したクリミア戦争において英国の派遣した看護団のリーダーとして活躍した世界的・歴史的偉人である。 英国陸軍兵士の対するその壮絶な献身は彼女をして同国の英雄(女性に呼称する言葉ではないが・・・)として迎えられ、王立の医療看護界から高い評価を受け、こと「看護」について強大な影響力を有したとされている。 ことに衛生環境や統計学については稀有な才能を発揮し、所謂現在の病院設計のあり方の基礎を築いた人物として知られている。 そのような歴史もあってナイチンゲールという呼称は実際にサヨナキドリという「夜に鳴く」鳥を指すと同時に看護婦さん、それも個人的な印象では夜勤の看護婦さん全般の女性たちを指すようになった・・・と考えている。 病院やクリニック、その他諸々の医療介護施設における看護婦(師)の役割と業務は現在益々繁雑で多忙になり本来の看護業務よりも周辺の作業が増えて来て、その存在の重要性は一段とイヤ増していると言わざるを得ない。 それが良いことか悪いことかは別にして・・・。 ところで筆者の愛読書で渡辺淳一の「無影灯」という小説がある・・・というのは何度もお伝えしたことがあるが、この物語のヒロイン・倫子は有能有意な若い看護婦である。 そうして彼女の愛した若い男性医師・直江庸介は多発性骨髄腫という不治の病を抱え、その痛みと苦しみに耐える為に生命を削るようにクスリ(麻薬)やアルコールや女色に溺れる荒んだ毎日を送るニヒルな人物として描かれている。 「死」を前にした人間の心はいかにも脆く儚く純粋にその言葉のとおり刹那的に生きるしか「法」はなく閉ざされた未来の為に自暴自棄、所謂「生き急ぐ」生き方をしている。 それがまた奇妙なことに非常に魅力的に筆者の心に映じる。 何故だろうと考える。 一般の健康な人間は毎日の生活がほとんど変化なく連続していくと無意識に信じて生きている。 それが人生が突然に「途切れる」などとは夢想だにしないように見える。 所謂「死病」とされる悪性の疾病に侵されている人々ですらそのような意識であるように見える。 恐らくは大変な心の葛藤を抱えながら「生きている」と想像するが・・・。 生と死と愛はいつでも人生の大テーマであり永遠の謎と思えるが、そのことに実査に直面した時に或る程度の医学知識を備えた人間達の心の動きには強い興味を惹かれるがあくまで「想像」の域を出ない。 同年の人々・・・それは70歳前後の友人達の数人は明らかに「死病」を患っており、それと毎日戦っている。 それでも少なくとも表面的には平穏に見える。 しかし彼ら彼女らの心の底は分からない。 その心象を大したことのない想像力を駆使して思うに、それは筆者の愛読書「無影灯」が参考になる。 もしかして入院やホスピスになったとしても一縷の望みとしては件のナイチンゲールがあるのではないか。 死を前にした人々にとっての夜は果てしない闇を、即ち死を思い極めてつらい時間になるのではないだろうか。 そんな時にナイチンゲールのように真夜中に自床を訪れる優しく献身的な看護婦さんほど深い慰めになる存在があるだろうかと想像する。 勿論、愛する人や家族を除いてであるけれど・・・それでも彼ら彼女らとは別な或る種特別な存在として医師があり看護婦があると考えている。 ありがとうございました M田朋玖 |