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■ 受容性 | 2024. 2.14 |
かつて・・・今でもかも知れないが・・・所謂プラス思考について批判的な論言巷間に出まわっていたらしいが確かにそのことは「言える」と思える。 現実の否定的な事態に対して無理矢理に肯定(プラス思考)しても何ら実効は無いであろうことは誰しもが経験することだ。 たとえば「プロ野球選手になる」と宣言していた少年がいたが、特に才能がある訳でもなく懸命に練習する訳でもなく、ただ単に言葉にして想像しているだけ・・・であるのにソレ・・・「プロ野球・・・」が現実になるとは到底思えない。 貧乏のドン底にある、或いは重い不治の病にある、或いは年老いて認知症、或いは寝たきり…等、また健康上も経済的にもひどく困窮している人々が単なるブラス思考にしたからと言って奇跡的にみるみる事態が好転するとも思えない。 このような例がプラス思考のマチガイであって典型的には「宝くじを買う」という行動である。 極めて確率の低い(大当たりの当選)・・・それは計算上雷に当たって死ぬくらい・・・実現性の無い可能性を求めてせっせとソレを買いつづける人々を多く見るにつけ・・・これはプラス思考とは違うと思うが・・・先述した少年と同様に誤った考え方の代表ではないだろうか。 上述した例のように物事の成就や成功(目標を達成する)についての誤認識のはなはだしい類であるがそのことに気づいていない人がかなりおられるのには驚かされる。 つまり現実を直視せずアタマから否定してかかるという心の態度・・・これをプラス思考と呼ぶならばそれは滑稽と称しても良いほどに強烈なマイナス思考なのではないだろうか。 「マイナス」の否定は「プラス」などではなく単なる現実否定ではなく物事を直視せず心理的に夢まぼろしの中にあって天から降ってくる奇跡を待ってぼんやりと何も行動せず結果的に何の成果も得られず失意のままに人生を終える・・・という結末を引き受けている人々が結構おられるようだ。 そこで究極のプラス思考とはまずもって現状の「全肯定」言い換えれば「全受容」なのではないか。 少なくとも心の構え、態度として物事や事柄に直面した時のファーストステップに最適な言葉が表題に掲げた「受容」なのではないかと思える。 1)直面する、そして受容する 2)何が出来るか 3)何を出来ないか を考える。 5W1Hという便利な言葉もある。 何(What)を何時(When)何処(Where)で誰(Who)と何故(Why)どうして(原因追及)どのように(How)解決するか。 これらの作業を楽しんですれば悩んだり落ち込んだりする暇は無いだろうと安易に考えている。 日頃から訓練的に考えて準備はしておくべきと思うが筆者自身がこのように理性的に対応対処が出来た。 多分に衝動的・発作的・直感的に何らかの決断をして実行する・・・そしてそれは概ねのところうまく機能している。 まず筆者の執る行動というのが、あろうことか「祈る」なのである。 「受容」し「祈る」 だから実に幼稚で、子供っぽいと思うのだが5W1Hなどは所詮「大した問題ではないよ」として適応される訳で一身上の問題、進退を懸けた大問題であるならば一瞬で「パニック」になり直線的に「神仏に祈る」などという「他力本願的」というか「依存的」というか情けないくらい「小心者」という正体を顕現させてしまう。 本来的性格の・・・。 ところがである。 繰り返しになるが「受容性」という「言葉」にはどこかしら「悟道的」「秘教的」「潜在的」パワーをその言葉裏に秘めているようで、少しだけアタマに浮かべただけでも本来の落ち着くと諦念を呼び覚ますようで個人的には非常にパワフルな言葉なのではなかと考えている。 ありがとうございました M田朋玖 |