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■ 70歳 | 2024. 1.22 |
若い時には想像も出来なかった年齢に到達してしまった。 ヨボヨボのお爺さんかと思いきや実感としてそうでもない。 自覚的には若い時と比べて著しい衰えは現時点では感じない。 オートバイにも乗れるしバスケの練習にも行ける。 筋トレのジムにも通っている。 勿論、仕事もしている。 実にありがたいことだ。 昨年の秋にあった中学・高校の同窓会にも参席したが、集合写真をつらつらと眺めていると自分がいくらか「若く見える」らしいことが確認できた。 同級生(70歳)の仲間の中にはそれこそハッキリと「老い」の刻印がその頭髪や顔や姿勢や歩き方に明瞭に確認できる男がいる。 勿論そうでない・・・即ちひどく若く見える友人もいたりした。 同年と言えどもまさしくそれぞれまちまちであった。 年齢を重ねると「差」が広がるとモノの本の知識では知っていたが、少なくとも集合写真で確認できたことの第一はやはり見かけ上の「老い方の差」であった。 昔の面影を少しもとどめてない男(筆者の中高は男子校)もいれば、少年時代のままそのままに年齢だけ重ねたという同級生もいる。 これまたさまざまだ。 人生における「70歳」とはいかなる時期なのかと少し考える。 年齢的には確かに「老いている」・・・とは言え年寄りとスッパリ呼ぶにはいささか抵抗を感じる。 何しろ最近は特に70代でも若々しい男女はいくらでもいる。 若い時より70代の方が渋くカッコヨクなった男や女もおられるようだ。 決して多くはないが勿論50歳、60歳、70歳にすら届かず鬼籍に入られた人々も少なくはない。 それは200人中30人くらいか。 特に著名人、有名人の中にそういう人を散見できる。 横死、事故死、自死、病死など死亡原因はいろいろだ。 70歳とはまさに死を間近に感じる年齢でもある。 ひたひたと死の影が歯車を装着した輪転機にたぐり寄せられる金属製のチェーンのように死神の手に引き寄せられる。 これはもう絶対に抗いようがない。 若い時には少しも感じたことの無い心境で「このような」実感という類が「70歳」の特徴かもしれない。 残された時間・・・と考えた時、その長さにおいて70歳はチト厳しい。 それは80歳や90歳と比べるとまだまだ長い・・・かも知れないけれど人生の半分以上は過ぎて2/3イヤ3/4あるいは4/5は時間をつぶして来ているのだ。 充分に楽しめたかと聞かれるとハッキリ「そうだ」と言えるが、勿論「心残り」が全くない訳ではない。 それは代表的には自分の気力や体力の減衰というよりも愛する人の「死別」や「生別」によって生じた所謂「別れ」というモノで実感される或る種の「悔い」みたいな感情だ。 人生に別れは付きモノで、生きていると必ず経験させられる。 誰彼構わず「別れ」を口にする人々がいるが、これは自らの人生観の中に執着の薄さか、逆に強い執着の裏のメッセージに感じる。 と言うのは「別れ」イコール人生の終わりと言えるほどに強烈な愛着、恋着を抱いている対象者との離別は人によっては「死」そのものに近いほどの痛切な「心の苦しみ」であろうし、はたまたそれは「別れ」を意識していることがその人物の生への執着の無さを表現しているように見える。 人生の来し方(過去)を想い行く末(未来)を思う時にこの年齢・・・70歳の実感はどうしても或る種の深い憂いなしには感じられず、いくらか近くなった死について奇妙な親近感の増幅となって心の底に感じられる死の兆しが殆んど実感としてまだ感じられない今この時期に少しだけ70歳の感想を述べてみた。 ありがとうございました M田朋玖 |