コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 氷雨2024. 1.16

12月中旬の外は冷たい雨が降っている。
平成20年の11月下旬にこんな雨が夕刻から降っていた。
それ以前、数年前に「別れ」を告げた女性がそんな氷雨の晩にあっけなく喘息の発作で早世、旅立ってしまった。
享年42歳。
厄年である。

「飲ませてください。もう少し♪」
この艶歌の名曲「氷雨」の歌詞のとおりの晩年だった。
まだ深く強い愛があったと気づいた時には彼女はもうこの世の人ではなくなっていた。
そのことを思うと胸が張り裂けそうなくらい自分を恨む、憎む。
まるで陶磁の芸術品のように美しい「死に顔」。
臨終の床のまわりで彼女の実母・実父、他血族の人々とともに冥界へ見送った時には涙がとめどなく溢れて頬を激しく濡らしつづけた。
そんな哀切と悔恨の残る「痛い」時間を思い出させる今日の天気だ。

冬の雨はとにかく悲しい。
それが長く降りつづくと尚更だ。
生と死と・・・愛と欲とが荒い綿布のように織りなす人生の物語。
この平和を謳歌する我が国・日本ですら血生臭い戦いの時代をくぐり抜けて今日の平和を勝ち得ている。
そのことを忘れている人々のなんと多いことか。
その歴史の大渦の中で一個人の人生など朝露の一粒にも満たない霧や霞の一細粒に過ぎない。
ましてやこの冬の或る日に降りつづく氷雨などに及ぶべくもない。

そんな冬の夕暮れにレインコートを羽織り、雨除けのキャップをかぶり、冬用のブーツを履いて我が愛車・ソアラ430の小さなキャビンに潜り込んで雨の中にソロソロと滑り出た。
ワイパーが規則正しく微かなきしみ音を響かせながらフロントガラスの雨水を律儀にはいている。
それらの窓越しに眺める冬空はほどほどに黒灰色の雲々が明るく美しく垂れ込めて「冬気分」を味あわせてくれる。
黄色く染色された冬枯れの田畑と遠望される青々とした山影が黒々と鋭角に空を切り取り、冬の雨を嘲笑うかのように厳然として「そこ」に在った。

春を待つ冬という意識が最近は転じて「冬を楽しもう」としている自分の心に気づいた。
「今を楽しむ」という現代風の捉え方ではなく、冬を引きとめるようにその寒さ、冷たさ、死活のしにくさをあらためて楽しもうとしている自分に驚いている。
それほどに「冬」とは生命の息吹きを包含した或る種のエネルギーの「タンク」のような季節と考えている。
勿論、宇宙のレベルではただ単に地球の公転周期の一表現に過ぎず、この地球上には今や「夏真っ盛り」の国々が半数以上あるのだ。
「冬」という季節のパートが一時期存することそのものが有難いとさえ感じる。
年中夏・・・所謂「常夏」の国を羨ましいとも思わない。
この充分に生活感にあふれた冬こそ愉快で面白いと思う。
夏に暑くて泳いでいた海に時には雪さえ降るのだ。
氷雨・・・このいかにも冷たそうな雨ですら前掲した「愛する人の死」さえ考えてみれば「自らの愛」「彼の人の愛」を深く気づかせてくれる。
まさしく「愛の物語」がそこにあったことを深く刻印するように・・・しっかりと思い出させるように冷たく降っているのだ。

「さようなら」・・・そして「ありがとう」

これこそが人生の極言に違いない。

ありがとうございました
M田朋玖



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