コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 感動2023.11.22

一気に冬になった。
11月初旬。
冴え冴えとした月影に煌めく星々。
冬空の濃密の闇にさんざめく星の瞬きは感動的に美しい。
この先、何度こんな風に星空を見上げ月を愛でるのであろうと考える。
こんな風に一日一日を感動して過ごすのはとても良い生き方なのではないかと思える。
だって感動する。

「感動」という言葉をヒントに日常のほんのささやかな行為行動、言葉や現象、人や自然やさまざまの人工物、芸術作品を見るにつけ自らの感覚を研ぎ澄ましてそれらに接するとまさにひとつひとつの見るモノ聞くモノ、自分のささやかな感動でさえ心震えるほどだ。
そうしているとそれこそ感動的に、物事すべてが楽しく嬉しいと感じる。
こうして文字をつづりながらこの「字を書く」という行為すら感動的にオモシロイ。
人間の心なんてカンタンなモノであるらしい。
とにかく言葉ひとつなのだ。

最近は何度も書いたり述べたりしているように言葉のエネルギーは画像のソレを上まわるのではないかと思うようになった。
この単純な「感動する」という言葉だけでそこに生じる脳の活動には或る種独特の新鮮さを感じるし、その言葉から想起される感覚の「快」は鋭く脳を喜ばせる。

文字や文章や絵画や写真やその他さまざまな芸術作品のみならず日常の諸々の物品や人々や自然現象の数々がそれこそ感動的に「輝いて見える」。

何たることだ。
自分を含めたこの世界がとても美しく慈愛に満ちているコトが分かる。
それは人の愛、両親の愛、パートナーの愛・・・そして神の愛・・・それらを無意識に「受け取っている」「感動」をあらためて意識すると自分自身の脳裏に拡がる無限の展覧される美しい世界は何なのだろう。
この驚嘆すべき華麗なる宇宙の完璧に調和した美のパノラマ・・・としか表現しようのない絢爛たる「美」そしてメロディー。
人々の声への郷愁・・・この世界は神の愛と人の愛の「海」なのだと・・・さえ思える。
そのことに気づいた時に自然に落涙する自分自身が不思議だ。

「感動」というKeywordからまるでビッグバンのように瞬爆して拡張した華麗なる精神の世界にあらためて驚嘆させられる。

逆に言うと無感動、無感情、無意識的な惰性とも言うべき精神の怠惰への恐怖もまたありありと感じさせられる。
それらの状態の人々・・・言うならばゾンビの如き人間のいかに多いことか。
この世界は素晴らしく喜びに満ちた感動の世界なのだ。
そのことに気づいただけでも今まで生きて来た甲斐があっというコトだ。
意識的に「感動しよう」とするのは精神の健全性に寄与すると思える。
この文字を書くという行為のなめらかさ、脳の活動、目の動き、聞こえてくる周囲の人々のざわめき。
優しげで愛のある数々の言葉と声・・・。
それらに囲まれ毎日が「至福の時」お呼称してよいと思う。
今までの時間が・・・人生の時間が口惜しいと思うくらい・・・この「感動」という言葉に突き動かされた「愉快」の方に強く振れている精神世界はとてもとても美しい・・・と感じる。

ありがとございました
M田朋玖



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