コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 若葉の頃に・・・2023. 5. 2

桜の木がいつの間にかうっそうと生い繁った。
緑葉を支え持っている。
葉色が暗く色濃く染まり、いかにも重たげに風に揺れている。
秋にはすっかり葉を落として「針金細工」のオブジェのように変化する筈だ。
桜の木には日本の四季を極く大雑把にシンボリックに示してくれるモニュメントのようだ。
春の花の絢爛たる美しさを尚更に際立たせる。

花の季節が終わるといよいよ初夏。
若葉の淡い緑が目に眩しく美しい季節。
明るい陽光、長い昼間・・・ついでにゴールデンウィークという大型連休まであるとのんびりとゆっくり過ごすにはこの時期「春の土用」でもあり絶好の時候。
観光、行楽、ドライブ、ツーリング、キャンプ、ピクニックなどさまざまの野外活動に最適だ。
北半球の多くの国々は春から初夏。
緑豊かな山河、長く強くなった太陽光の輝きに人々の気分もいくらか高揚気味と思える。

NBA(アメリカプロバスケットボール)はプレイオフを迎え、MLBも開幕。
各種オートレースも早春には開催されている。
ようやくコロナ禍が明けたものの、ロシアとウクライナの間では戦争がつづいている。
多分に代理戦争の様相を呈しているが国際的にはそれなりに安定している。
今のところ世界戦争への火種とは言い難い。
世界がパラダイスと思えるほど美しく心地良い陽気なのに戦争なんて「考えられない」けれど、人類の愚挙暴挙は歴史的には枚挙にいとまがない。

この季節にはよく思い出すのが父の往診への随行(?)だ。
田舎の山坂を自家用車で上り下りし、ある患家の屋敷の縁側で足をブラブラさせて待っていると理由の無い幸福感が胸底からこみあげて来て、その瞬間の映像は今でもありありとよみがえる。
その時に来ていたギンガムチェックの青いシャツとグレーのスラックスまで思い出される。
それらの郷愁にあふれた原風景が今の医師の仕事への強い長い動機づけになっているような気がする。

確か中学1年生の頃。
郷里人吉を離れ熊本市内の中高一貫校での寮生活。
それらに馴染んで間もない頃のたまの帰省中の思い出だ。
子供の頃には「父親」というのはとても大きな存在だ。
それは恐れと畏れと尊敬と愛情の対象として言わば「神」のようであった。
「ゴッドファーザー」はまさしく個人的には自分の父親だと言える。
それは永遠に超えられない存在で軽蔑という言葉の寸毛も入り込む余地のない純粋で混じりけの無い「尊敬」で、この感情の出所を探るとやはり「愛」なのだとあらためて自覚する。

子煩悩だった父。
酒乱の父。
暴力と愛が混在した摩訶不思議な存在。
時に不機嫌で愉快で、時に寡黙で饒舌で、時々は悪言を毒のように周囲にまき散らしたかと思うと慈父そのもののように優しく患者と家族を深く愛した。
そんなどちらかと言うと熱く荒々しい気性の男が50歳を前に夭折するなんて・・・これはあくまで予測できたことではあるが・・・その生きざまのあまりの荒々しさ、激しさの為に・・・とは言え・・・その死を悼む気持ちが減じる訳ではない。
その死後2年間ほど自暴自棄の時期がつづいたが、ある時・・・それは大学の留年という屈辱を味わったが為のナニクソ魂がムクムクと湧き上がりとも思えるが、とにかく2〜3年は生命がけで頑張った・・・イヤ、今でも頑張っている。

そんなことを思い起させるこの一年で最も良い季節だ。
年齢を重ねて思うことの一番は「若い時の苦労や頑張りは必ず実る」ものだというハッキリとした確信だ。
それらの無かった若者達の末路や後半生は非常に険しい。
上り坂は最初に厳しくて上に行くほど傾斜が緩やかなほど良いではないか・・・と最近つくづく思う。

ありがとうございました
M田朋玖



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