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■ ゴッドファーザー | 2023. 4.19 |
1972年公開のアメリカ映画。 米国アカデミー作品賞、主演男優賞、その他多数を受賞した。 批評家や監督など玄人受けの良い作品で評価も高く、興行成績も素晴らしく、ほんの数週間で制作費を回収できたらしい。 大したものである。 その当時は無名と言えたフランシス・フォード・コッポラという監督、アル・パチーノという俳優を一気に世界的大スターダムに押し上げた傑作映画となっている。 当時もスター俳優であったマーロン・ブランドの怪演は見事で画面に登場しただけで観客の目を強く惹きつける。 素晴らしいカリスマだ。 一方、若手のアル・パチーノの演技も迫真。 映画が進むにつれ、だんだんアイビーリーグの大学生が本物のマフィアのドンとしての風格と貫録を備えて行くところが強烈な魅力を発する。 或る意味、大スター、マーロン・ブランドのカリスマを奪った感もある。 勿論、物語として主人公、ゴッドファーザーの威厳と存在感を少しも棄損する類ではない。 筆者が19歳の時の作品なので、かれこれ50年になる。 2001年出版の副読本「ゴッドファーザー」を自らの蔵書棚に発見して殆んど未読であったので読んでみたところ、非常に面白い。 公開前から話題を晒されていたらしいことが読み取れる(原作本がベストセラーだった)。 パラマウント映画の起死回生の歴史的大ヒットだったようだ。 それであらためてパートT〜VをDVDで見なおしてみたら正直な感想では画面は陰影の彫りが濃く白と黒のコントラストと全体に淡い黄色がった場面でノスタルジックな映像を作りだしている。 今見るといくらか古ぼけて見える。 つまり映画作りの「粗さ」が目立つということだ。 現代の映像技術はやはりいくらか進化しているのであろう。 何しろ50年も経つ。 それでもこの「ゴッドファーザー」の芸術性、映像や音楽の美しさ、悲しさ、娯楽性を損なうものではないが・・・ 青春時代の懐かしさと郷愁。 やはりジッと観入ってしまった。 確かに世紀の傑作と呼べるシロモノである。 歴史(50年)の風雪に耐えて堂々たる存在感だ。 アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、アンディ・ガルシアなどいくらかのイタリア系のスター達は今も健在だ。 彼らもまた大スターであることには全くの驚きである。 つまり観客を呼べる俳優さんであるようだ。 各俳優さん達の演技については完璧というほかない。 キャスティングの段階でこの「完璧」が予測されたようにコッポラ監督のこの問題(キャスティング)についてのこだわりを示した結果だったようで、これは原作者のマリオ・プーゾもあったとのことだ。 ドン・ヴィトー・コルレオーネ(ゴッドファーザー)役はマーロン・ブランド以外考えていなかったそうである。 他の脇役陣も見事にそれぞれの配役を演じきったという感がある。 物語をかいつまんで書き述べておくと、政界にも顔の利くマフィアの大ボス、ドン・ヴィトー・コルレオーネ(ゴッドファーザー)が対立するファミリーから仕事上のトラブルにより襲撃され重傷を負って入院となる。 それでマフィア同士の抗争が始まる訳であるが、それを解決(犯人を悪徳警官ごと撃ち殺して・・・)したのは軍隊で勲章をもらったほどの勇敢な一見ひ弱で知的な大学生・・・三男の「マイケル」が実行しゴッドファーザーを襲名して物語が終わる・・・というモノで、これは家族や組織(ファミリー)を守る為の手段を選ばない男達の生命がけの「戦い」であり、壮大なスケールのホームドラマである。 即ち、愛する家族(女子供)を守る為の戦いを描いていて、それが世界中の大衆庶民に広く受け入れられたのだ・・・と思う。 山崎豊子の「華麗なる一族」という小説があるが、それに似たようなコルレオーネファミリーの一族の物語がパートT〜パートVにつづいていく「壮大な抒情詩」、ドラマティックな戯曲、家族劇、男達の戦いの物語なのだ。 この作品から貰う「勇気」は・・・それは主として戦いに対する類で、男の本能を強く刺激するようだ。 「家族を守る」そして「組織」を・・・。 これが物語の底部に流れる素晴らしい作品だ。 一見の価値ありだ。 血の抗争、残酷な暴力には少しく拒否反応があるにしても・・・。 ありがとうございました M田朋玖 |