コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 「恩知らず」の末路2023. 4.18

最近気になる言葉がある。
それは「ありがとうございます」だ。
ある人との付き合いにおいてこの事を知った訳であるが、その人物は無闇に「ありがとうございます」を連発される・・・それでモノの本にはその言霊によって幸福になれる、豊かになれる・・・との風説があって結果的にそうなのかというと、それが全くのその人物の周囲環境に生じていなくて逆にイヤにハッキリと困窮しておられる。
また何故か周囲の人に疎まれておられ、好かれておられない。
何故そうなのか・・・ということを少し書きつづってみたい。

その人物は50代の男性としておこう。
何やら本か巷間の知識、情報かは知らないけれど「ありがとう」の言葉には素晴らしい霊力が備わっている魔法の言葉と信じておられるフシがある。

ところで感謝の言葉は3回言って実るという社交上、ビジネス関係上の「常識」がある。
これはたとえば何らかの「物品」や何らかの「サービス」や「金銭」などをいただいた時にまずは「ありがとうございます」と述べる・・・。
これだけでは全く未完了で、そのすぐ後で今時はメールやラインで「先日(本日)は大変お世話になりありがとうございました」と御礼の言葉を述べる。
重ねて再会した時に再度「その節は大変お世話になりありがとうございました」と述べてとりあえず「完了」であるとされているらしい。
これはナルホドと思える。
自分の経験でも再会した時に自分が「お世話をした」と思える人物から「御礼の言葉がない」と少し変だなあと感じる。
勿論、感謝の言葉を要求したり期待したりするほど下品なモノは無いと普段から考えているので、そのような言葉や考えは心から打ち消して済ますが、その「言わなかった人物」の評価は「急激に落下する」。
あらためてこの人物は「人に恩を着る」とか「感謝する」コトのできない人とのレッテルを無意識に貼ってしまうのだ。
結果的にそれで「付き合い」をやめてしまう・・・というコトがよく起こる。
さらに結果的に「お世話する」コトを「差し控える」という流れになって、これらの「流れ」がその該当人物の周辺にも生じて自然的に困窮している状態がつづく・・・という風に分析している。
或る意味、誠に「お気の毒」だ。

「御礼の言葉」「感謝の印」というモノの人間関係、イヤ経済環境において極めて重大であることが分かる。

当の本人に説明してもあまり理解できない人もおられる。
そういう人情(人の心)の機微に対して鈍感なのである。
基本的に「気づき」がないのかも知れない。
自分のコトしか考えられない。
即ち余裕が無いのである。

「御礼を言う」というのは人に与える精神的なエネルギーとして最大のモノと思える。
特に日本人は人に親切にして御礼を言われるのが好きなのである。
そしてさらに御礼の言葉を何回も言われ、それに「恩に着る人」はさらに「好まれる」「大切にされる」というコトが起こる。
結果的にその人物が色々な意味で恵まれる・・・というコトが起こる・・・のに・・・これらの理屈が理解できないばかりか「お世話になった人」に対して「逆恨み」をする「恩を仇で返す」なんて方もおられて「バチアタリ」も良いところだ。

筆者の場合も人のお世話になったり人のお世話をしたりして来たが基本的に「恩返し」をする。
「御礼の言葉」を述べつづけるということを意識している・・・つもりである・・・しかしこのことはよく忘れる。
あー情けない。
「恩知らず」の末路は意外に悲惨である。

ありがとうございました
M田朋玖



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