コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 画像処理・・・時間感覚2023. 3.21

年を取ると時間が過ぎるのを早く感じるが、これは脳の画像処理能力が加齢(老化)によって著しく減衰するかららしい。
即ち記憶して味わう映像や画像が少なくなって1日の「映像」のコマ数が絶対的に減ってしまって感覚として時間のスピードが早まってしまう結果であるらしい。
つまり映画やDVDの画像が「早送り」になった状態が加齢による時間感覚の短縮の原因と考えられる。

それで高齢者(中年)になって楽しく愉快に味わいたいなら画像を若い時のようにコマ数を増やそうとするよりも一日の一コマ一コマの「画像」をしみじみとじっくりと賞味することではないだろうかと考えるのである。
「心に残る映像」・・・1日の中で感動する思い出や思い出した過去の映像を「脳の中でイメージする」でも良いので記憶の中のイメージ・・・美しく魅惑的な思い出、映像を楽しむことこそ「楽しい1日の過ごし方」ではないだろうか。
少なくとも高齢者にとっては・・・。
実感としてまだ高齢者ではないが、外見やカラダの各機能についてはそれが如実に衰えとして表出されている・・・この現実をしっかり受けとめて先述した画像処理能力の落下を逆手にとって少ない画像をじっくり楽しもうじゃないか・・・というアイデアである。

名画、たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」やファン・ゴッホの「自画像」「ひまわり」などの至宝と呼ばれる絵をしみじみとじっくり鑑賞するように・・・。
「心に残る思い出」を毎日同じものでも良いから創造する。
そのように努めるか・・・もしくは過去の素晴らしい思い出の映像を写真や雑誌などで味わうなどだ。
これらを通じて一日が素晴らしく豊かで楽しいモノになりはしないか・・・と本気で考えている。

それであらためて名文・名画、楽しい写真、興味深い雑誌を本屋で探し求めても良いであろうし、自分のコレクションから「引っ張り出して」楽しむのも良い・・・。
つまり結局はそれぞれ枚数、コマ数は少なくても「一枚一枚」をじっくり楽しみましょうという訳である。

そういえば「一枚の繪」という絵画の掲載された雑誌があるが、その中で「珠玉の一枚」を1枚でも2枚でも発見したらそれを購入して来て鑑賞して楽しむ。
また自らの記憶の映像の中で味わう、或いはまた実際に自分の画像や写真のコレクションでもあればそれらのストックやコレクションとしてそれらから厳撰して・・・枚数を究極まで限定して楽しむということを実践実行するのも良いかも知れない。

年齢を重ねると自分の審美眼もそれなりのセンスに応じて洗練されて来て熟成した類に限定されるかも知れず、これらが年齢を重ねた者共の或る意味「強み」なのではないかと思う。

よく厳撰された映画DVDのコレクション、写真や文章のストック、小説や物語のコレクションなどなど・・・とにかく「友人」と同様に付き合う人、物、文章、絵画、物語を厳しく選択して少なくなった脳の映像コマ数をよ〜く自覚して一日でするべきことを、タスクを基本的に減らしていって・・・即ち一日のルーティーンを「断捨離」して脳の映像の「コマの減少」を補うことだろうと思う。

・・・ということで若者や自分の若さから「映像処理」が多過ぎて楽しむ・・・というよりそれらの闇雲な蒐集に明け暮れて自分に本当に向いた趣味嗜好の類の選択が不得意なのかも知れない。
脳が新しい体験や未知の領域への好奇心で無謀さ、無鉄砲さに満ち満ちていて実に危なっかしい日常を送っているのが若者の本態かも知れない。
それで逆にスポーツや趣味など一切せずに学校の勉強ばかりしていた友人達の意外な早世や急な衰えをまざまざと見知った時に確かに「映像処理」能力に限定した場合、若い時も老いた時も出来るだけ多くの「未知の体験」を可能な限り「するべき」だし、老いた人は特にその処理された数少ない映像を意識して毎日創造し、味わい「楽しむ」ということを意識して自分の全身の感覚から総動員して行うべきだろうと思える。
いかがであろうか。

ありがとうございました
M田朋玖



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