コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 蓄財と浪費2023. 3.14

「光陰矢の如し」が真理ならば、我々人間は他の生物と同様に皆「すぐに死ぬ」と考えて良い。
何しろ時間が光の速度で過ぎるのだから。
私達の時間はそれほどに少ない。
そうして理論的には私たちの所有(?)できる時間は「今」しかない・・・というのが真理であり実態である。

所謂「先延ばし」「取っておく」ことの無意味さがアタマでは分かっていても私達の受けて来た「教育」というモノの性質が「将来(未来)の為の準備としての勉学」を推奨している為にどうしてもこの「先の為」「将来の為」という感覚から心理的に抜け出せず本能的に「蓄財に走ってしまう」。
勿論例外はあるが・・・。
また、教育や勉学という類、或いはトレーニング、修練、鍛錬を通して常に「準備する」ことを厭わないことが美徳であるかのような世間的、社会的風潮というモノも手伝って多くの人が「今」を犠牲にしているように見える。

「明日は我が身」という言葉もある。
葬式などに出席するとお坊様が朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり・・・などと説教で述べられて人生の儚さ、諸行無常を語られるが自分の身に置き換えて真剣に「そのことを」考えている人は少ないと思える。
自分のコトではない・・・という感覚の人々が殆んどなのではないだろうか。

以上の考えを突き詰めると毎日の努力というモノ、学ぶという或る意味健全な「心の態度」にいくらかの疑問が生じるのを感じる。
こんなことをしていて大丈夫なのであろうか・・・と全ての努力、学習、鍛錬、修練などをやめてしまおうかとも考えるが、当然ながらそれらを少しでも怠ると不思議なことに自らの心理的・肉体的後退や衰え感を味あわされる。
毎日の努力・・・
それがごくささやかな類であっても大切であることをあらためて「今」の為の怠慢、享楽を求めて「サボる」ことへの「戒め」となってしまう。

「筋肉を貯めましょう」「貯筋」などと推奨している成書もある。
即ち日々の「筋トレ」で筋肉を貯めておきなさいという訳である。
はてさて「明日死ぬ人間」が努力して筋肉を鍛えたり勉強したりと何の為にするのかという疑問も生じるが、多くの人々はそのことをつきつめて考えない。
「人生は自転車のように漕ぎつづけない」とイケナイもののようだ。
これらは貯金よりも大切であるそうな。
さすれば日々の努力や蓄財で「お金」「筋肉」もほどほど取り組んで適当に怠けて浪費、消費もしていくという実に絶妙なバランス感覚で生きているのが多くの人間の実相実態であろうと思える。

上記のように考えてくると自分の年齢というモノに行きあたる。
70歳という年齢を考えるとよくよく考えて努力するもの、貯めてゆくモノを厳選して余計なそれらはやめておいて自分の永い永い努力や蓄積により「たくわえていたモノ」をこれからはより上手に遣って楽しむという段階、ステージに来ているのではないかと最近つくづくと感じる。

急に亡くなった人の中に数億円もの資産を一円も使わずに遺した人もある。
アルコールの過飲やさまざまな不摂生・不養生によってもたらされた不幸な結末も自らへの努力によって蓄財していた大切なお金を全く使わずして突然の死を迎えた知人の物語を思い出すにつけ、やはり使うべきを「今だ」と割り切って「使い切ってしまおう」という自分もいて・・・相変わらず葛藤していて悩ましい。
誰かすっきりした解答を示してくれないだろうかと時々考える。

ありがとうございました
濵田朋玖



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