コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 感謝と満足、そして全受容2023. 2.20

何かしらの欲求を持つことは、それが強ければ強いほど心の「苦しみ」になることがある。
或る意味ストレスそのものと言える。
見方を変えればそれは「不平不満」と考えられる。
即ち現状に「満足」していない心の状態なのだから・・・。

一瞬一瞬を「感謝と満足」で生きることは「欲求や願望がない状態」と言える・・・。
ヴァーノン・ハワードのスーパーマインドによれば何物をも欲求するな、何かを誰かを自分の思う方向に向かわせようとしないこと・・・1日だけで良いから・・・素晴らしい何かが得られる・・・と結論に述べてあった。

人間は欲求のままに毎日を蠢いていると言って良い。
大概の人はそれは生理的欲求・・・食欲、排泄欲、性欲、名誉欲(功名心)などなど脳の中にある欲望の中枢というのがあって、それらの自然な欲求に従うとことは生きてゆく上で必要なコトだ。
それらまで否定するコトではない・・・それでも意識的に欲望、願望を捨てていると強力な「心の平和」」を得ることができる。皮相的には、「何をもしていないこと」とも言える。
明瞭明確に。

人間が生きてゆく上で低次の欲求・・・生理的な欲求については肯定しておくとして少なくとも環境とか営みとか或いは誰かをして自分の欲求に「従わせよう」という企みや試みは実のところ極めて有害であろうと考えられる。
即ち「心の平和」の維持継続にとって・・・。

そこで心の「受容性」という言葉が脳裏に浮かんでくる。
「今ここ」でこの環境、現状にそのまんま「丸ごと肯定」すると素晴らしい心の落ち着きと平和と感謝とが自然に心に湧き上がる。

「全受容」と「感謝と満足」・・・これらの心の状態の心地良さは「得も言われぬほど」だ。
何という素晴らしい境地。
全身を包む、この愉楽は何ものにも代え難いほど素敵だ。
薬物も何らかの刺激も不要だ。
具体的な遊びや休養さえ必要としないように思える。

とにかく「今ここ」で「ありのまま」「すべて」を「全的に受容」してみよう。
何とも言えない愉悦が全身におとずれる。
これは実に妙なる心の状態だ。
これを書きながらナルホド・・・「プチ悟り」めいた全身の愉楽。
三昧の境地に近い。
「満ち足りていること」「満足」の意味をしみじみと味わうことの喜びを人に伝えたいと思うが・・・そう考えた時点で既に欲求不満の状態なのでそんなことは心に考えまいと強く決めよう。

表面的には「無の境地」「三昧の境地」に似ているので「感謝と満足」「今ここありのままを全受容」すると「心地良さ」は繰り返しになるがお伝えしたことについて筆をすべらせてみた。

ありがとうございました
M田朋久

追記:多くの人の言動・行動を調査してみると皆さん幸せそうに見えない。
それは上記の考えからすると「欲求不満」状態に思える。
英語でHappiness consist in contentment。
欲求の無いところに幸福があるのだ。



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