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■ 懐旧 | 2023. 1.25 |
この感覚、若しくは感情を味わう時はいつも深い快楽が心の中に生じるのを感じる。 それは深い謝念であり、喜びの感情である。 少年時代・・・中学校〜高校〜大学〜20歳前後・・・当時凄く楽しかったとか面白かったという訳ではないがその「郷愁じみた感覚が心によみがえる」ことそのものが脳に何らかの「快」をもたらすような気がする。 しかしその懐旧の対象となる時代はどうも所謂、青春時代もしくは少年時代に限定されるようで、どちらかというといくらか抑圧的で制限的で窮屈な時代に向けられることが不思議に思える。 それにその時代の不安定さには独特なモノがあり、実は悩ましい時代であるのだ。 それらの未遂の「夢」が今まざまざと実現していることの有難さ、嬉しさみたいな「思い」があってそれで「心の良い感じ」が生じていると考えられるが心の中を色々と探ってみると「それだけではない」という感覚があってそれをそれぞれのKeywordに分けて少し書きつづってみたい。 1)オートバイ これは少年時代の憧れの最たるモノのひとつだ。 免許を取りソレを自由に乗りまわすことへの渇望はとても激しく強烈な類であった。 或る友人の誘いで手っ取り早くソレを実現するべく「バイクドロボー」の技術を持った少年の「それ」に加担してしまった。 そんなつもりはなかったがぬすんだオートバイに同乗したという「罪」で「バイクドロボー」の」汚名を着せられるという「ドジ」を踏んだことになる。 当時は少年であった為に警察に逮捕されることはなかったが「家庭裁判所」「保護観察」という処分を受けた。 かなりメンドクサイ経験をした。 それでもオートバイへの憧れはやまず親の金を盗んでソレを求めて50CCの原付バイクを6万円で購入し乗りまわした。 高校時代のコトである。 滅茶滅茶楽しかった。 そのバイクにまたがり学校をさぼって映画を観に行きタバコを喫いながらガラガラの映画館で薄っぺらいカバンを座席に投げて足を前の席に組み上げてよくフランスのB級映画を鑑賞した。 ついでに知り合いのヤマハRD350CCという中型のオートバイを借りて乗りまわし一日中「借りっぱなし」でその所有者とその悪ガキ共と喧嘩になったコトもある。 それらの経験を経て今やオートバイを3台も所有していつでもソレに乗れるようになった身分になってこんな有難いコトは無いと「考える」ととても幸せな気分になる。 こんなささやかな「喜び」という類は我ながら幼稚とは思うがまんざら悪いモノではないと考えている。 2)クルマ オートバイと同じような理由であるがこちらは親に免許を取らせて貰って新車も買ってもらって2台も乗りつぶした。 2台とも徹底的に乗って、特に故障もなく快調に走ってくれて今やそれらの買い替えを数十年もせず14年目になる高級国産車を25万kmあまり乗って、2台目にソアラ430という20年モノの旧車(?!)を乗りまわしてこれまた大満足である。 3)女性 この問題については長くなるので割愛したいが殆んど完璧以上に「夢が実現した」とだけ述べておこう。 素晴らしい体験をさせて貰って大感激・大感謝である。 4)仕事 これが最大かも知れない。 今でも医師国家試験合格発表があって自分の名前を地元の新聞で発見した時の深い喜びと安堵感がありありと全身によみがえる。 「人生の大転換」が起こった瞬間だ。 その他諸々の楽しみ事、喜び事の原点があると考えている。 これからもこれらの懐旧は大切にしていきたい。 追記:懐旧の喜びを得られる「思い出」は無限にあるような気もしている。 折に触れこれからも探していきたい。 ありがとうございました M田朋玖 |