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■ マインドフルネス | 2023. 1.17 |
「時間よ止まれ」・・・はエーチャンこと矢沢永吉の出世作であるが・・・ご存じのように時間は止まらない。 かつて少年時代のテレビ番組で同じセリフを発するドラマがあったような気がする。 自分(主人公)が「時間よ〜止まれ」と呪文のようなかけ声をかけると主人公以外のすべての動きが止まって、まるで時間がストップしたかのような状態になり、その間に自分で色々な画策をして物事や事態を「善導する」と言った内容だったと思い出している。 「ふしぎな少年」というタイトルの連続テレビドラマだ。 今この年になると何とか時間を止められないかと考えるようになった。 今「幸せな状態」だからと言えるだろう。 勿論もっと「幸せ」だった頃があるにしてもである。 けれども今より若い時には「それ・・・その時間が幸せ」だったとは自覚していなかったような気がする。 まるで当たり前であるかのように気楽気軽に「その時」は過ごしていたように思い出される。 そしてまたそれはそれでよかったのかも知れないと。 物事は・・・幸福であれ不幸であれ・・・「重く捉える」と碌なことがない・・・とは最近の精神世界・・・「引き寄せの法則」等の常識になっている。 深呼吸をしてよくリラックスをして今この時をじっくり楽しむこと。 それがより良き人生の為の最良の手段なのではないかと近頃はよく考える。 好きなコトはすぐにして好きな物品はすぐに買って言いたいことはすぐに口に出す(プラスの綺麗な言葉に限る)、楽しむことにためらいや罪悪感は厳禁だ。 徹底的にトコトン楽しむコト。 ・・・我を忘れて・・・。 時間・・・これほど貴重なモノは無い・・・それは人生・・・生命そのもの・・・この限りある時間の中で何と楽しむか、どのように楽しむか、何時楽しむか・・・それは「今でしょう」・・・誰と楽しむのか・・・どんな欲求に基づいて楽しむのか・・・その原動力はこの生命力そのものだ。 バイタリティー、フリーダム(自由)、そしてサムマネー(いくらかのお金)。 それらを資源として思い切り楽しむ対象をよく吟味検討し選択して楽しむ。 このアイデアは素晴らしい・・・と我ながら自画自賛している。 何故ならどんな事柄にも何らかの「ブレーキ」がかかるもの。 特に「楽しむ」ことや自分の為の浪費についても誰でも「ためらい」や「罪悪感」「うしろめたさ」みたいな感情という心情があるような気がする。 「自己の欲求、感情を・・・情動を開放して思い切りトコトン楽しむ」ととりあえず決めれば後は自分の魂が方向を自然に決めてくれる・・・と考えている。 いつどこで何を・・・などなどキチっとフォーカスして完璧を目指して「楽しみ事」を完成するのだ。 そうなると人生の一瞬一瞬に後悔が無くなって自分の決断に自信が持てるし、すべての事柄が「自分がみなもと」との感触を得て益々人生の自由感が増幅され感知されると思える。 そうして生きて行くことが「自分の人生を全うした」とまでは思わないが先述したように結果的に「後悔のない人生」となるのではないだろうか。 一瞬一瞬を楽しむ、一呼吸一呼吸を味わう、見るモノ、聞くモノ、触れるモノ、感覚できるモノはいずれすべて失われてしまうのだ。 それらは生々しく生き生きと喜びを持って感じ取っていくだけでも時間を有益に過ごすと言えないだろうか。 ヒントとしてマインドフルネス・・・瞑想的な集中力、精神の静けさ、心の沈黙・・・それらの「心の作業」によって自らの行為、言動、感覚、思考、感情がすべて統合されて素晴らしい「生きている感覚」を味わえる気がする。 ・・・マインドフルネス・・・これが最も手近な時間満喫の手法かも知れない。 さあ意識を集中して今やっていることに、感じていることに自分のマインドをフルに使って集中してみたい・・・と最近考えている。 ありがとうございました M田朋玖 |