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■ 報恩 | 2022.11.26 |
うつ病の人々に多い言葉に「申し訳ない」「迷惑をかけている」というのがある。 それにつづいて生じる言葉が「死にたい」「自分がいなければ・・・」と、要するに結論が自己否定的なのである。 誰かに「迷惑をかけている」・・・というのは言い換えると「誰かの世話になっている」と言えなくはないか。 であれば自己否定するよりはむしろ「恩に報いよう」とか「恩を返そう」とかするのではないか・・・と思うのだ。 けれども現実的にはそういう風に考える人は少ない。 「ちゃんとお詫びをする」なんていう考えの人が多い。 この考え方は突きつめれば自己中心的なのである。 無自覚などんな人も誰かのお世話になっている筈である。 幼少時期から無事に大人になった人ならば深考するまでもなくそのことに気づいている筈であろうけれど、多くの人がそうは考えないように見える。 中には恨みつらみ、不平不満、果ては「トラウマ」などと数々の心の不満足をあげつらって親や周囲の人を「恨む」ということをなさる。 どこの国とは言わないが国家や国民全体でこの「恨み」を強調して国を挙げて「反日」というスローガンの元にそれを大合唱して諸外国の顰蹙を買っている国もある。 決して「報恩」という言葉が出て来ない。 或る意味凄い。 逆に「報恩」そのものの国もある。 台湾だ。 日本国には大恩がある・・・と。 日本の災害の度に巨額の援助をされている。 大したものである。 世界的な電子部品のファウンドリ企業であるTSMCが日本国、それも我が熊本県に工場を建設することが決まり、地元も色めき立っているようだ。 経済効果についてはどのようなレベルかは知らないが台湾の狙いは中国リスク回避であるらしい。 もっと詳しくは日本工場の製品レベルは少し劣るらしい。 本格的な半導体は米国工場に建設予定らしい。 6Gを目指すとのこと。 話しを戻すが「申し訳ない」は「恩返しをしよう」に変化させることが望ましい・・・。 というよりまっとうな人間ならばそれを目指すべきだと考えている。 今現在「申し訳ない」「迷惑をかけたくない」という言葉を持っていて煩悶している人はただちに「恩に報いよう」「恩返しをしよう」と言い換えて社会や周囲の人々や世話になった人に恩を返そうとするコトだと思う。 人間社会は「恩」と「謝恩」で成り立っているのではないかと時々思う。 それは世の中で立派に生きている人物や企業に多く、そのことを忘れてしまった企業や人が次第に沈没していくものなのだ。 感謝という思いと言葉が人間の高度な理性的な「考え」であるし、その言葉に基づいた行動や感情を存分に発揮して社会を生きて行くことでその人間の幸福度は決まると言える。 「恩返し」という類はその気になればいつでもどこでも出来る。 道に迷って困っている人を助ける(これは広い意味でも言える)というのなら実に簡単だ。 講演や道路のゴミを拾ったりお掃除の小母さんに「ありがとう」とお礼を言ったりするのでも良い。 単に「人に親切にする」というのでも良いと思う。 ・・・これが一番手っ取り早いし、確実かも知れない。 その為には生きていて健康でなければならない。 心身共に自分がそれらの行為行動をする為には「生きている」「元気でいる」ことだ。 まずもって実のところそれだけでも「報恩」とも呼ぶべきかも知れない。 ありがとうございました M田朋玖 |