[戻る] |
■ 文字のチカラ | 2022.11.18 |
言葉には強大なチカラが宿っているとはよく世間で聞くコトであるが、その表記としての文字には・・・と言うとこれまで意識したコトはなかった。 けれども色々と字体を変換してそれらの言葉を文字にして作ってみて印刷してみるとその驚嘆すべきチカラと芸術性には心底魅了されてしまった。 全身トロケルほどである。 それであらためて文字というモノを、美しさを追求しながら読んでみると、これまた優れたる類とそうでない類が割りと明瞭明鮮に区別できる気がする。 「文字」のチカラを測定する為に試しに或る画像をプリントしてそれがいくらか殺風景な映像であっても、たとえば心に強力な影響を与える「文字」をその印刷物に入れてみると、それはそれは見事な美しい変貌を遂げ、一種の絢爛豪華な「世界」が一瞬で現出され、その文字世界と映像世界が絶妙に融合され数倍から数万倍の「心的エネルギー」を観る者に与える・・・という風に個人的実験で体験できた。 これはごく秘そやかではあるけれど「偉大な発見」で、どちらかと言うと言葉や文字のチカラを軽んじて来たこれまでの人生の経験からすると自らの心象を表現するのに「驚天動地」というありさまである。 それで今懸命に収集しているのが広告雑誌に掲載される所謂「キャッチコピー」という類でこれらにはあの手この手と大衆の心理を強く揺り動かす刺激的な言葉とそれに人心を巧妙にあざとくまどわす「色彩」を混入させ、ついでに「字体」を巧みにあしらって人々のマインドを誘惑する。 或る意味強烈な広告芸術作品と呼ぶべき傑作がふんだんに散りばめられている。 それに淡いパステル画などいくらか芸術性の高い高額な作品であろうとも打ちのめすほどの「チカラ」を宿しているようにも思え、益々それらの雑誌に毒々しく妖しく艶めかしい文字の数々に魅了されっぱなしという態である。 それで今までの雑誌コレクションの「広告」という「類」をあらためて探索している次第である。 個人の趣味の芸術としては大衆芸術の最たるモノが「広告」「コマーシャル」であろうと最近では考えている。 因みに「文字」の美しさについても日本語の「ひらがな」で修飾された「漢字」の文章というモノの計り知れないほどの「力量」が備わっており、筆者の心を魅了してやまない。 誠に素晴らしい文字世界が心の中に展覧されて強烈な「快楽」を生じさせてくれる。 また年齢を重ねてからの方がそれらの「快」にさらに敏感になっている気がする。 芸術の世界でも絵画や「書」については年齢の上昇に伴ってその感性が深まると昔読んだ本にあった。 その中で「文字のチカラ」には呆れるほどのパワーを感じる。 ありがとうございました M田朋玖 |