コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 夢2022.11.14

寝ている間に見る「夢」のことではない。
所謂、子供が語る将来の「夢」について少しばかり自思を述べてみたい。

以前・・・かれこれ35年前に自己啓発セミナーに参加した時に「アナタの夢は何ですか」・・・「アナタの欲しいモノは何ですか」だったか、そういうセクションがあっていたく感動したのであるが、これらの質問を見ず知らずの人に聞くという研修もあって、これには結構な勇気を要した。
「為にはなった」
・・・おかげで人に気軽に話しかけることができる・・・ようになったし仕事がずい分楽になった。
ありがたいことだ。

また多くの人が自身の「夢」を「語れず」「持たず」にいるということを知った・・・。
これは或る程度「予想どおり」なので特に驚きはしなかったが「普通の大人」には「夢がない」というコトをあらためて確認して少しく悲しくなった。
勿論、当時の研修を受ける前の自分にも「夢がなかった」ことは充分承知していて、人間ってそんなものだと半ば以上「あきらめていた」ような心境であった。

ところで今の自分を振り返って見ると子供の時の夢は全て叶えていて、実のところ子供時代の夢をはるかに超えて夢が実現していることに気づいて本当にありがたいことだとあらためて感慨深く思った次第だ。
この(夢の実現)の遠因として「運」と「テクノロジーの発達」という類があると考えている。
父親の跡を継いで医者になり結婚し子供をもうけ、彼らの一人を医者にしてついでに比較的規模の大きい高齢者施設を建設し経営しプライベートではクルマとオートバイ等の趣味の深化も子供の頃の夢想を確実に「超えた」レベルで現実にしており、この境遇の良さには強い謝念を禁じえない。

それもついつい忘れてしまって日常の憂さや細事些事に心を奪われ,悩ませられ、体調や心調の不具合を嘆き自らの老いや衰えをうらみ・・・など何かしらの不平不満を心に抱きながら生きている訳で我ながら情けないとは思う。
人には語っているこの自分こそ所謂「不平不満孤士」そのものではないかと反省しきりである。

少年時代・・・とりわけ小〜中学校時代は地獄のように辛かったので、今の自由でのびのびとした境遇というモノがかけがえのない「喜びの毎日」であることに気づかされ思わず落涙するほどだ。
夢の実現・・・ささやかな夢であるようで自分の力量からすると分不相応このうえない類であることを悟った。
さてそこで今からの自分の夢というモノをランダムに書きつづってみたい。

@会社か病院を買収して経営してみたい
A映画を撮って監督主演をすること
B海外旅行(10日以内、ヨーロッパ限定)
Cオートバイで国内旅行(1週間以内の気ままな旅)
D大金持ちになって銀座のクラブで遊びまくる
E小説を書いて出版する作家になる(ベストセラーになる)
Fクルーザーを買って遠洋の旅
G息子に跡を継いでもらってブラブラと遊び暮らす
H今のままの生活を死ぬまで・・・殆んど100歳になるまでしていたい
書き出すとキリがないくらいある。
自分に夢があるのが愉快だ。
小さな夢としては
I国産のスポーツカーの新型を買って改造して乗りまわす
J高性能のオーディオ機器とプロジェクター式の映写装置を購入して楽しむ
最後のIJはすぐに実現可能であるが多分実現しそうにない。
何故なら殆んど大した欲求では無いからだ。
夢とは面白いモノ。
にんべんをつけると儚いとなる。
そんなものだ。
実現しない方が良い夢もあるような気がする。

ありがとうございました
M田朋玖



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