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■ 恋愛ゲーム | 2022.10.20 |
♪恋はゲームじゃなく生きることね♪ 来生たかおの曲の歌詞だ。 マツダロータリーコスモのTVコマーシャルソングとしてしばたはつみに歌われた「マイラグジュアリーナイト」の一節。 恋と愛は違う。 恋は多分に本能的であり根底にあるのは純然たる性欲だ。 一方、愛はもっと交渉で或る意味理性的なモノでひとつの「決意」である。 勿論、恋を美化する物語も多い。 ところで恋は若者だけのモノと思われがちだが「老いらくの恋」は意外にも激しい。 時に刃傷沙汰になったりする。 近所の市(マチ)では近頃60代後半の男性が40歳の恋愛対象を殺して自殺するという事件があった。 痴情のモツレであると新聞にはあった。 「もう二度とない」という切迫した思いがあったのであろうか。 人生の後半の恋には若者とは違った「生命がけ」的な特別に差し迫った緊迫感があって「痛ましい」。 さて、恋の進行進展にはお互いをもっと「知りたい」という欲求が欠かせない。 ひとつの謎めいた魅力という類が必須であるらしい。 その為かどうかどうしてもお互いの心理的な「駆け引き」即ちゲーム性というモノが深く大きく潜在していると思える。 このことは「恋」の経験豊富な「手練者」であれば男女共よく知悉しているようだ。 それでそのことに一種の快感を憶えるように洗脳者、被洗脳者、或いは信者と教祖、教師と生徒、師匠と弟子のような上下関係が存しているが多くの人々にはこのことがあまり知られていない。 絶対平等であると言い募る方もおられる。 そもそも純粋に一対の男女の間に平等というモノがあるのであろうか? 人間の存在として平等であることには全く異論は無いが、完璧な平等、平行関係はどうも「対立」を生むような気がする。 一種の主従関係のような微かであっても上下の差異があると良好な関係が継続していく気がする。 命令する者、服従する者。 これはSとMとかの表現される関係性になった途端に相当にエロティックな彩りを帯びるのが、エロスそのものが恋の本質であるので、この論には矛盾が無いと思える。 このようにいくらかの上下の関係性を築いておくことはたとえば男女ペアでするスポーツ(!?)、社交ダンスのような類が明瞭に見てとれる。 恋はやはりゲームなのである。 またひとつの生命を懸けた「駆け引き」であるし、主従関係を築こうとする者に有利な人生の物語のフラクタルな切片なのである。 それがいくつか組み合わされ、一見複雑に見える人間の模様の総体的・時間的芸術が「人生物語」ではないと思える。 愛と恋と意思(恋を成就せんとするエネルギー!?)のドラマ。 壮大なドラマが人生そのものであり多数の悦楽的恋のゲームを体験出来た者がある側面から見ると人生の「勝利者」なのではないかと筆者は考えている。 いかがであろうか。 ありがとうございました M田朋玖 |