コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 夏の夜風に吹かれて2022. 8. 9

夜、午後10:20。
バスケの練習を終えて火照った熱をもったカラダを冷やす為にクルマのハードトップを開いてフルオープンにして「夏の涼しい夜風」を心ゆくまで味わった。
ほんの数分間のドライブでも至福の時を過ごすのに少しの意図と思いつきさえあればいつでもどこでも実行できるものだ。
年齢を重ねて来て益々そのことを意識し実行するようになった。
このコラム書きについても「趣味」の範疇に入るということを知り、今や苦行や修行や義務ではなく純粋に「楽しみ」として文字を書き連ねている。
まるで絵画用の白いキャンパスか、純白の画用紙を絵筆で埋めていくように文字をできるだけ絵画的に重ねてゆくとそれなりの「美」を創出できることを知り、これまた心の中の楽しみ方が増えた気がする。

人生を貪欲に「楽しむ」のに最も必要なコトの最大はまずそうしようとする「意図」であるが、やはり2番目には「美意識」や美や喜びや楽しみの「感度」であろうと思える。
これらの心理的要素は毎日の生活に或る種の洗練された行動様式、即ち態度やふるまいについての強い自意識を生じさせるようで、それらによってさらに仕事や遊びにおいて心地良い緊張感が生じ、それに適度な「リラックス感」が混じると何かしら日常の所作やふるまいに快楽という幾分匂やかなスパイスが噴露され、それら(日常の行動)のすべてハイセンスで神々しいモノにするような気がする。
あくまで個人的な感覚なのであまねく世人の得てしかるべきモノではないと思うが「チョットした意識」でもってソレを感得することが出来ると思うのでここはひとつ毎日毎分練習してみたらいかがであろうか。
日中の蝉のかしましい鳴き声と対照的に夜は秋の虫。
ダイナミックに変化する「夏の音」。
しみじみと聴き入ると或る種の感動すら胸の内に覚える。
自然の移ろい、生命の息吹き、生き物たちの合唱、風に木々の梢の・・・灼熱の太陽に照らされギラギラとたぎる地面、一方で涼やかに風に揺れる。

「真夏の果実」というサザンオールスターズの名曲があるが、これは実は悲しい曲で「夏の雨」に涙をなぞらえてそれこそ「悲恋話」が内容になっている。
それでもこのモノ悲しい歌を口ずさんでいると、夏の悲しみが湧き上がって来ると同時に何かしらの郷愁感が・・・懐かしさが心に流れ込んで夜のドライブに出かけたくなる。

愛車、20年モノの「ソアラ様」を駐車場から引っ張り出してハードトップをオープンにして夏の夜の闇に滑り込んだ。
いくらか厳かな趣きを感じ取れるこのクルマの「走り」には強力に贅沢な気分を与えて貰える。
いかにも高級車然とした重々しい走行感は今時の軽快なクルマには無い類だ。
夏の夜風に吹かれながら最寄りの「高原」に向かった。
そこは南側に隣町えびの市の夜景と黒々とこんもりとそびえ立つ霧島山を眺望できるお気に入りの「場所」だ。
ついでに高地の為に空気と夜の闇が深く満点の星々がクルマと共に全身に星影の光を浴びさせてくれる。
いくらか寒いと感じるほど心地良い涼風が頬を撫で、髪をなびかせる。
何と豊穣な夏の夜であるコトよ。
百万ドルの夜景とまではいかないまでも田舎のささやかで控え目な光の粒子の集簇は目に優しい。

ありがとうございました
M田朋玖


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