コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ ハーレーダヴィッドソン2022. 4.22

3年前の6月に購入したハーレーダヴィッドソンXLスポーツスター883はゴキゲンなオートバイだ。
季節限定とは言えるが今時は特に「風と戯れる」という心地良さを心から味わえる。
敢えて飛ばそうとも思わない走行感覚の快感には一種独特で稀有なモノがある。
即ち国産のオートバイにはこれに届く類がない。
同様のカタチとしてはYAMAHAのVOLT、或いは今年春に発売になったホンダのレブル1100があって両車ともそれぞれに素晴らしい仕上がりだが「ハーレーの良さ」とは異質だ。
言葉では表現し辛いが、よりメカニカル、より有機的、より不規則的・・・。
とにかく単なるマシンではなく「生き物」感があって、またがって乗ると見た目のダサさ(個人的にはそう思っている)とは裏腹に深いヨロコビを体感できて嬉しい。

それが今年(R4年)の6月にはいつの間にか1回目の車検がやって来た。
熊本市の販売店からは3回目の点検の通知のハガキあり。
これは「母国」アメリカ製の為か確か車検制度が無いので・・・3年保証が出来ません・・・点検を受けなければ・・・みたいな通知・・・であるがここはとりあえず3年間無故障で乗り切った訳で、僅かに7000kmしか走っておらず、あらためてハーレーダヴィッドソンというオートバイに対する自らの親近感の薄さを感じさせられた。
やはり「外人(車)」は苦手なのであろうか・・・とさえ思ってしまう。

それで4月5月は、即ち6月の車検までは一生懸命ハーレーに乗らねばと思いついた次第だ。

彼(ハーレー)は1週間も乗らないとバッテリーが「上がって」しまい約1時間余りの充電でエンジンがかかりそのまま1週間毎に50km〜100km乗ればバッテリーの問題は解決するので、しばらくは「定期乗車するべし」と心に決めた次第である。

オートバイに乗るのを義務化するのもどうかと思うが、或る程度の年齢になるとスポーツとかクルマやバイクという類の趣味娯楽には一種の「気合い」を要するようで、或る種の修業が鍛錬のような按配で取り組む必要があるようだ。

話は変わるが元NHKのアナウンサーで下重暁子氏の「極上の孤独」(幻冬舎)という書物を読むとひどく共感するのであるけれど、彼女も筆者と同じ星で共に「孤独を好む」特質があって、いかにもそれがひとつの物事の解決法の「すべて」のような内容であるので筆者としては「然り」と謂えども万人に「当てはめられまい」と考えている。

それと同様に特別にハーレーに対しての違和感がハーレーをカッコよく乗る方法とかあるのであろうかと考える。
同も個人的美的感覚ではハーレーダヴィッドソンを含めアメリカのバイクには美的な類を見出せないでいる。
何故なのだろうか。
最近の若者達には好評であるもののやはりオートバイはレーサーレプリカを最高峰としてネイキッドのクラシックバイクが2番手で美的には最下層にあるのがやはり今でも「ハーレー」なのである。
何故なんだろう。
そういう意味でハーレーの集団ツーリングを見ると一種の嫌悪さえ感じる始末。この心理的な、矛盾は、時々ハッキリと感じる「自己嫌悪」に似ていて、結構悩ましい。

ありがとうございました
M田朋玖



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