コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 春涙2022. 3.21

ハラリハラリと梅の花の散る姿はツラツラと眺めていると何故か母のことを思い出す。
3月8日。
これが母の誕生日だ。
生きていれば92歳になる。
今時はメズラシイ長寿ではない。
およそ17年前に75歳で他界した。
2年ほど糖尿病を患った後、その為かと思える胆のう悪性腫瘍を併発した。
発症後10ヶ月ほどの生命であった。
関連施設の老健施設で介護と「看取り」をした。
当時施設長だった先輩医師のU先生が母の最期を「看取って」下さった。
このドクターも一緒にロンドンに行ったりした(肝臓移植をロンドンの肝臓外科医ナイジェル・ヒートンに執刀してもらった関係で年1回の診察を兼ねたロンドン詣でに随行したワケである)がこの先生も移植時の不具合から胆道閉塞肝硬変へと進展し69歳で鬼籍に入られた。
母の死後ほんの数年の生命であられた。

実際に「母の死」にはそれほどのショックを受けなかったけれど・・・。
それは闘病期間が数ヶ月あって看病らしいコトは何もしなかったし「心の準備」が出来ていた為であろうと思える。
それでも父の死(筆者が25歳時)にくらべて「心の寂しさ」が強烈で、梅や桜の花が咲く頃になるといつも思わず知らず流涙するほど深い淋しさを味あわせられる。
母の命日は1月10日。
平成16年。
近々母の弟(二男・叔父)も90歳で他界した。
脳血管疾患であったらしい。
これは祖父(脳梗塞死)と同様で年齢も同じ。

五黄土星の年まわりに母も叔父も死没したので両人共「厄年」である。
母と叔父の死には15年の差がある。
その死亡年に。
これらの数字で想像できるコトのひとつは易学どおりである点と「厄年」というモノが厳然とあったその人間の存在、運気、健康状態に少なからず影響を与えている・・・というだけではなく宿命(死が人間にとっての最後の運命の着地点)というモノから逃げられないことを強く理解させられる。
国家議員になり右翼的団体「晴嵐会」の創始者であった石原慎太郎も五黄土星の年で「命厄」。
所謂「三土宮」で他界した。
著名人にこの「宮」での死亡は多い。

忠臣蔵での浅野内匠頭長矩の切腹や特攻隊ではないが「桜」や「春」には「死」の匂いが漂う。
それらのトータルなイメージとして「春の頃」にはそんな風な感興に浸らせられることが多い。

「梅が香に昔を問へば春の月 答へぬ影ぞ袖にうつれる」
これこそ「懐旧の情にこぼれる涙」とある歌だ。
「春とは悩ましきモノぞ 情にうつりていずれ去る川面の青葉に似て」
オソマツ。

ありがとうございました
M田朋玖



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