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■ 文字 | 2022. 3. 5 |
人類の文明文化の発展は「文字」の創造と継承によって達成されたと言える。 ネイティブインディアンやイヌイットや南米、アフリカの原始部族などは文字を持たなかったとされ、文化や伝統などの知識情報は所謂「長老」によってなされる「口伝」くちづたえによる類に限定されたようだ。 このあたりの詳細は不明だが現代人の大量の言葉の情報は「文字」にされ一気に世界中に拡散され共有される。 凄い時代になったものだ。 人類の持つ今や「文字」というモノも高性能のコンピューターによって信号化され、デジタル化され、さらに強力なパワーを持ち「AI」や「ロボット」などトンデモナイ機械を出現させた。 今風に表現すると文字や言葉を書いたり話したりする文化が少しずつ衰退して行って、今また「コロナ禍」と称する人工的な「言葉」によって洗脳され、煽動され、人々がいとも簡単に「談話」や「談笑」の喜びを手放してしまったように見える。 「巣ごもり需要」とか言う言葉まであって、これらの言葉や文字に誘導されて多くの人々は外出や遠出・旅行を控えて、言うならば俄かお「宅」になっていることを嬉々として(?)受け入れているように見える。 こうしてアタマに浮かぶ言葉の数々を文字にして書き連ねているが、これは極めてアナログ的な作業でA4の横掛線の入った紙にB4の太文字シャープペン(0.4mm)を使用している。 これらの作業を通じて得たモノのひとつとして言葉を憶える、文字を知る、漢字を知る、覚える・・・というような自らの「脳」というスーパーな「天恵的」コンピューターにデータ蓄積されていく・・・喜びをあらためて深く感じている。 「生卵への声かけ」による言霊実験というのがあって、これは多くの世人の知るところでこの稿では省略するが、言葉というモノ細胞に強い影響をもたらすことを知ればあだやおろそかに取り扱うべきではないと思うが言葉を上手に善用活用して自らの人生生活をより豊かに実り多きモノにすることが可能であろうと思える。 最低でも健康には益すると考えられる。 「言葉」と「文字」 これらの強力なパワーを使って人生を楽しむ強力な「ツール」にすればそれをさらにより良い類にできると類推されるし「そうすべき」とも思える。 さらに言えば物事や人間の思いや想念を「言語化」することは精神の衛生上極めて有益であるらしい。 たとえば心が「ツライ」と言った場合にそれが「怒り」なのか「憎しみ」なのか「悲しみ」なのかという感情の問題、はたまた思考・考え方・捉え方の問題なのか、単なる欲求不満なのか・・・幾分クールな思考力を取り戻すことが出来る。 勿論、言葉や文字に「騙される」というコトはよく起こる。 下手に言葉を知っているが為にその言葉の「威力」に負けてしまう・・・。 たとえば洗脳される、マインドコントロールされる・・・などは自分で自分を騙すなんてこともあり得る訳で、まさに「諸刃の剣」的な一面もあることは承知しておきたい。 しかしながらこの言葉を善用するならば相当に毎日が心豊かで「お気軽に」楽しくなると思える。 いかがであろうか。 ありがとうございました M田朋玖 |