[戻る] |
■ 反ミニマリスト | 2022. 3. 5 |
「ミニマリスト」という言葉があって、この生き方が「プチ流行」しているらしい。 即ち最小限のモノしか持たないという生き方、生活の仕方。 これは「断捨離」という言葉に連なった言葉であろうと思えるし、本質的にはその考え方がよく理解できるし、生き方のスタイルとして「悪いモノではない」とは思う。 持ちモノや所有物を捨ててしまってスッキリした部屋というイメージ、モノが無いことが「心地良く」「快適である」ということも容易に想像できる。 ・・・だがしかし 幾らか自己正当化の誹りを覚悟して述べさせてもらえるなら「たくさんの物品」に囲まれて生活している「良さ」というものについても言及しておかなければまさしく「片手落ち」なのではないか。 このような心の経緯であらためて筆を執っている。 個人的な感覚では数々の物品というモノがソレにまつわる数多の物語を含んでそこに「在る」という或る意味とても「愉快」なんである。 それを頂戴したり、自分で購入したりした時の気分、心持ち、嬉しさ、ありがたさ・・・に思いを致す時、それらをポンポンと気軽に「捨てる」ことがそれらの物品の立場から、或いはまた下さった方々に対して果たして「どうなのかなあ?」と考えてしまうのである。 「物」からすると結構罪深いことなのではないかとさえ思う。 「モノにも心がある」というハナシも聞く。 「彼ら」の立場からすると簡単に、まるで「ボロ雑巾」のように「捨てられる」というコトに心が耐えられないと想像される。 現代人は、とりわけ日本人は「断捨離」という言葉を美化し過ぎている(その美的イメージ・・・たとえばワビサビのような・・・)と思える。 かつて「物質欲満々」であった日本人の心こそ「高度経済成長」を支えて来たのではないか。 「モノを持たない生活」「モノを欲しがらない生活」・・・それはそれで大変結構なことであるし、素敵で爽やかで美しい綺麗な生活だと思えるけれど・・・。 「大概にしろよ」だ。 この「断捨離」という言葉を有難がる、学ぶ日本人の或る意味「楽な」生き方こそ順良な経済成長の足枷であったのではないかと。 人々がモノを「欲望」の対象としない、モノを「欲しがらない」ことの「美徳」がモテはやされた結果、日本国の長い長い経済停滞が生じたと類推することができる。 この考えは「ウガチ」過ぎであろうか。 人々の生活は、より良き豊かさ、便利さを求めるからこそ経済も科学技術もイノベーション(技術革新)も起こるものなのだ。 日本人の欲望の経済化・・・それは性欲・物質欲・金銭欲・名誉欲・・・これらの「欲」のあきらかな減衰は人々をして或る種の「ヘタレ」と変えて行ったのではないか。 「断捨離」「ミニマリスト」などこの際クソクラエだ。 欲望満々たる貪欲・邪欲・淫欲丸出しで突っ走るのもどうかと思うが或る程度の「欲望」は人類の存続・成長・発展にも欠かせないのではないか。 かつて話題になった中国人の観光客の「爆買い」「アラブ王族の極端な浪費」なども何となく日本人が侮蔑的に、いくらか嫉妬まじりの思いを秘めて論じたり批評したりするのも見方を変えれば或る種の日本人の「弱さ」の顕現かも知れない…などと考えてしまう。 「経済成長、みんなで停まれば怖くない」 そんな言葉がしきりに脳裏に浮かぶ、 ありがとうございました M田朋玖 |