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■ キクコ(小説) | 2022. 3. 5 |
或る年の5月中旬。 初夏の薫風が夜の街を心地良く吹き渡り、人々を楽しい宴へと誘う絶好の日和であった。 中華料理店での定例の「集い」が解け紹興酒で酔いがまわったアタマを抱えとあるスナックに流されるまま入店した。 「カスバ」は迷路のような暗い路地の奥にひっそりと建つ古びた雑居ビル2階に在った。 50代頃の短躯で巨大な乳房をその胸に有するよく笑う明るい「大ママ」が満面の笑みで迎えた。 「いらっしゃいませ〜」 すでに酔っ払っている。 総勢3人の男達とボックス席に陣取る。 全部で15〜6席の小さな店だ。 他に1組カウンターでカラオケを楽しんでいる男女。 永岡央(ひさし)は44歳。 地元で小規模の不動産業を営んでいた。 関東の大学を出て資格を取り「宅建」の免許を携えて26歳で借金や自己資金(親の遺産もあり)で開業した。 いくばくかの紆余曲折を経て賃貸物件を少しずつ買い増して行き、持ち物件(所有不動産)と管理物件とが半々。 勿論不動産「仲介業」もマメに動いてこなしてそれなりに堅調な業績を保っていた。 件の集まりも会議所青年部時代の友人達。 殆んど異業種である。 知らぬ間に永岡の隣に店の女の子が座ってウイスキーの「水割り」を作ってくれる。 男の会話が白熱しアルコールの影響もあり自然に大声になる。 チラリと横を見やると茶髪のロングヘアー。 中背の女の子。 「夜の店」の女性らしくない素人っぽいナチュラルなメイク。 どうやらアルバイトらしい。 「名前なんていうの?」 「キッコで〜す」 「?」 「キ・ク・コ」 屈託のない笑顔で即答する。 「ひとめ惚れ」 以来、週3〜4日のペースで通いつめた。 勿論「下心」もあるのだろうけれど、一緒にいて無条件に楽しくて、何よりも息を呑むほどに「美しい」。 ビールを飲み、歌を唱して夜の時間を過ごした。 そうこうしているうちに月日は経ち8月下旬の或る晩。 深夜、店が「ひけて」酔いを醒ます為に近くのホームセンター駐車場の門扉の近辺に駐車していたクルマの後部座席で仮眠を取っていたところ窓のノックで起こされた。 警察の職質かと思いきや、黒いシールドを貼った電動の窓を下ろすとニコニコとキクコが立っている。 午前2時を少しまわったところ。 アルコールがまだ抜けていないが、もともと酔うほどは飲んでいない。 酒に強い体質。 「えい、ままよ」と彼女を助手席に乗せて発進させた。 深夜のドライブ。 窓を開けながら静かに走らせていると初秋の夜風がキクコの髪をさらさらとなびかせ、うっすらと心地良さそうに微笑んだ。 月夜に白々と反射して輝く横顔を撫でた。 いかにも心やすらいだ表情がその幸福感を伝染させるように永岡も緩んだ頬を引き締めるのに神経を使った。 永岡の白のランクルはディーゼルエンジンを真夏の夜空に響かせながら市のはずれを抜け田中道を走り川べりの土手道を駆け下りて浅い水辺にタイヤを少し沈ませながら停車させた。 フルオープンにしたサンルーフから青い夜空にチラチラと星々がさんざめき、月光が川面のせせらぎを規則正しい水音と共にまるで宝石のようにキラメカセテいた。 二人はそれらに静かに見とれて・・・そしてごく自然に、まるでそれが当たり前の行為のようにクチヅケを交わした。 それはまるで子供の悪戯のような類で生臭い大人の男女の香りのまったくしない、軽い挨拶のような類でお互いに何かを求めている風でもなく、まるで神前で執り行われる厳かな儀式のようでもあった。 そのコトが微かながら奇妙なほどしっかりとした「胸騒ぎ」を永岡の心の底に覚えさせていた。 「?」 そしてそのコトを忘れわせるほど深く心に愉楽が生まれキクコのほっそりしてひどく華奢カラダを優しく抱き寄せ、しっかりと抱擁した。 ありがとうございました M田朋玖 |