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■ 夜間飛行1(小説) | 2021. 9.10 |
成田発パリ行き、エールフランスのエコノミークラスの機内は夕方6:00発のフライトに備えて忙しく客室乗務員達がその美しもシルエットの無駄に引き締められたエレガントな制服で立ち働いていた。 ・・・と同時に老若男女の乗客達もまたそれぞれの荷物を天棚の荷物入れに格納し、貴重品の入れてあるであろう手荷物を狭苦しいシートの脇や座席下に何とか押し込んでいた。 全ての窓のサンシェードが閉められ、機内は暗くなり人工的な「夜」が演出された。 殆んど満席となった客室は言うならば「雑魚寝」の為のジュラルミン製の洞穴。 8割方の日本人乗客達は大人しくそれぞれの薄い毛布をまとって自然に入眠態勢に入っていた。 坂元奎五は43歳。 地方の建設会社の経営者であった。 父親の会社を引き継いで無謀とも思える思い切った経営革新で会社を急拡大させた男だ。 さまざまな「ツキ」に恵まれたとも言える。 降って湧いたように災害が頻発したのだ。 結果的に県内でも第3位の業績と利益をたたき出す土木会社に仕立て上げ腹心の部下に任せられる有難い身分になり、こうして 海外「一人旅」を楽しんでいるワケだ。 ささやかな自分へのプレゼントだと思っている。 経済的背景を考えれば「ビジネスクラス」のエアチケットでも誰も文句をつけられない境遇であったが個人的にこの海外の航空会社のエコノミークラスの、直言するなら態の良い「豚小屋」か「養鶏場のブロイラー・・・並んで定時に餌を与えられる・・・」のような風景と手順が何故か「好き」であったのだ。 その上睡眠薬を服んで飛行時間の殆んどを「眠る」という行動を中心に据えて「食う」か「排泄する」かのいずれかに終始するのは数十万円を足してそれをいくらか「優雅」にすることにそれほど強い興味を惹かれなかった。 勿論経験もなかった当時は高価すぎて「腰が引けていた」のだ。 パリには早朝に到着した。 現地時間、午前6:00。 急いで時計をそれに合わせる。 いつもの試しどおりキャスター付きの旅行バッグは持たない。 やや大き目のスポーツバッグを機内に持ち込む。 勿論中には旅行道具・・・主として着替えが殆んど、パソコンやカメラ等の精密機械の類は持ち歩かない・・・あらゆる旅行時に。 荷物の排出されるカウンターをパスして入国手続きに向かう。 着衣は常にスーツだ。 所謂トラベラーズスーツ。 まるで寝巻きかスポーツウェアのように丸めてバッグに放り込めて丸洗いもできる。 そのうえポケットが豊富でジッパーやボタンがついていて安全性の確保にも・・・両手がフリー・・・暴漢と戦ったり、逃げたり、追いかけたり等走れるスーツにスポーツバッグというのが海外旅行のいつものイデタチだ。 ・・・そして大概一人旅。 目的は無い。 観光などしない。 海外・・・それもヨーロッパの「空気」を吸いに行くのだ。 ホテルに泊まりビールを飲んで夕食だけを食べる。 ボンヤリとホテルの窓から古びたヨーロッパの街並みを眺めるか電車やタクシーや地下鉄を使って街を散策し、カフェでコーヒーを飲む。 そんな旅を或る年の秋・・・それは昭和の後半頃、うららかな日射しが照らし出すパリの街がまたかぐわしい香水の匂いに包まれて美しかった頃。 「花の都」にふさわしく小柄なフランス人女性とジーンズにTシャツかセーターという定番の衣類・・・いかにも没個性的なファッションを恥ずかしいくらい愛おし気に眺めていたものだ。 日本人のように過剰なデザインや色どりの無い不思議な統一性。 それがパリの人々だった。 その夜、夕食を取らずホテルの部屋で休んでいたら控えめなノックの音がする。 聞き耳を立てるとそれはもう一度起こった。 「コン・・・コン」 ドアチェーンを付けたままドアを開けると日本人の母娘が廊下に立って頭を下げている。 (つづく) |