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■ 怒り | 2021. 8.24 |
久々に強い怒りを感じて日中の殆んどを「苛立ち」で過ごしてしまった。 周囲に対して軽い「八つ当たり状態」だったのかも知れない。 少しく反省である。 怒りの対象は今の国際・国内の情勢で、特に殆んどのメディア、国家またはそれらを動かしている人々、またそれらに見事に洗脳され突き動かされた人々についても何かしらの怒りを感じている。 それらに対して何も出来ないでいる自分の無力さについても「怒っている」。 この絶望感、無力感の根底に「怒り」があるのをひしひしと感じる。 個人的に経験した昨年からの色恋沙汰の不首尾も影響している。 それらもまた「自分のチカラ」が及ばなかった或る意味不可抗力的な事故のような塩梅であったので、尚更自身の不甲斐なさに近い無力感「チカラの無さ」についての自己不信が心に湧き起こり心の奥の感情を覆い隠して来たが、近頃はそれが「怒り」であることが判明しているが釈然としているが全身をどうしようもない「イラダチ」が染みわたって肉体的に「下痢」を、対人関係においては「不機嫌」と小さな気づかれにくい「八つ当たり」をしている自分に驚いている。 今は熊本県のマンボウ適用及び洪水避難場所の確保の為にバスケの練習もできずカラオケもままならない。 所謂ストレス解消が悪天候の為にバイクも乗れずその解消行動が最も弱い車の運転「だけ」になってしまった。 それであらためて乗ってみると相当飛ばさないとストレス解消感がない。 そうしてよりスピードの出るレクサス600hと言うハイブリッドパワーの装備されたスポーツカー並みかそれ以上の加速力を要するクルマを高回転でシフトダウンんしアクセルを床まで踏みつけるとオソロシイほどのスピードとまあまあの「G」を感じることができる。 それに乗って都会のコーヒーショップを探して入り秘そやかにタバコを楽しむ。 今や「禁断」の遊びとなった喫煙は「そのこと(禁断)」によって喜びが深くなった。 その甘い紫煙の香り、口の中に広がる心蕩かす甘い味わいは忘れがたい快楽の刻印を我が脳髄に「押す」のだ。 クルマとコーヒーとタバコと音楽の相性は極めて「よろしい」ようで、昨今の悪環境(飲食店の時短営など)、悪天候(長雨)などで無理矢理限定させられ遊びの行動がしみじみと読書をする・・・車中で・・・と言うこれらの絶妙なコンビネーションで何とか楽しみ事の微かな命脈を保っている。 この社会全体を覆う閉塞感と沈滞ムードもごく個人的に見れば「怒って」もしようがないのだ。 それであらためて得心し、その感情はソレとして自覚したまま自分の出来るコトをひたすら「してゆく」しかないのだ。 「まじめに良心的に愛をもって」仕事をすること、自分を大切にし真剣に遊ぶことなどを心構えに人生の一瞬一瞬を「楽しみ尽くすこと」を心に決めてすべての行為や思考をマインドフルネス的に集中して意識してゆったりと「行う」といくらか「怒り」も静まっていつもの「心穏やかさ」を得られる気がする。 仕事中に飲む冷たいブラックコーヒーとこの文筆が深く心を癒やす。 4Bのシャープペンシルをレポート用紙に滑らせながらあらためて思うのだ。 日本に生まれこの幸せな仕事と環境を得て、何と「ありがたい」ことであるかと・・・。 いつのまに「怒り」が消し飛んでしまった。 何故そんな苛立っていたのだろうかと・・・。 ありがとうございました M田朋玖 |