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■ ルーティーン | 2021. 8. 6 |
筆者の最近の朝の「ルーチン」は結構メンドクサクテ忙しい。 午前3時から5時に自然覚醒・・・それは単に排尿覚醒であっても・・・すると、まずチベット体操と神棚に祝詞(のりと)をあげ自転車漕ぎ(自転車運動器)4分から5分をして入浴、そして再入眠。 上記の行動は一日の義務や修行という感覚で「仕事を楽にする」手段でもある。 朝からの仕事を楽にしてくれる。 試しにこれらをサボって仕事に入るとそれを「苦」と感じるということを体験した。 ついでに朝の再入眠の前にほんの数分間「瞑想」をするとさらに気持ちよく一日を過ごすことができる。 「良い習慣」を身につけると人生が正調に「まとまって」行く気がする。 勿論、悪習慣というのもある。 それは「喫煙」とか「テレビ」や「YouTube」の見過ぎとかで、これは時間をひどく浪費する感覚があって軽く自責感が心に湧き起こる。 1日に2〜3本の葉巻タバコは物凄く「おいしい」と感じる。 その香りと口中に広がる甘い味わいは時に「得も言われぬ」深い陶酔を与えてくれる。 瞬間的にウットリするほど忘我の感触を全身に浸らせる。 また「甘い物」を食した時にもこれがあるが、こちらの方は意識的にひかえている。 タバコよりもカラダを直撃するようで、腰を中心に膝や筋肉や他の関節の痛みを生じさせ時に心を「イラつかせる」。 一方でタバコには血管収縮の為のさまざまな障害が生じ、個人的には歯肉への違和感を強く生じせしめる。 吸い過ぎると「歯」が浮いた感じで、さらに悪化すると歯科を受診するほどの「痛み」「不具合」に至る。 友人の愛煙家の一人は年齢が5歳下なのに総入れ歯、即ち「自分の歯」が無い。 愛酒家でもあるので当然の帰結かも知れない。 「美味しいモノはカラダに悪い」は世間で一定の評価を得た文言で多くの人が首肯している。 酒もタバコも甘いモノも肉も油も塩も砂糖も加工食品もすべての人間とは言えないが殆どの人が美味しいと感じるようだ。 それらを単に「好き」だからと言って無節操に飲食していると健康を害する。 不可解な原因不明の「病」にもなるようであるし、また通常の「難病」や「死病」にも早晩罹患することになる。 所謂「不治の病」は遺伝的なソレを除けば殆んどその人の「飲食生活」に因していると考えているし、現実的にそのような経験を毎日の診療でしている。 人間の肉体は「食物でできている」。 また一年間でその肉体の細胞はすべて「入れ替わる」と知ればますます毎日の自らの食生活において「飲するもの」「食するもの」に細心の注意を払うべきと思える。 当然ながら個人的には「病気」より「健康」を望むので、それらが「美味しいモノ」を食することで望まない「病気」という「心身の状態」を得させられるとすればあまりにも大きい代償だ。 健康「食」をとるか、病気「食」をとるかと人に問えば当然多くの人は前者と応えるに違いない。 けれども質問の仕方を変えて、「美味しい食事」を取るか「不味い食事」を選ぶのかと問えばこれまた当然ながら前者を選択するに違いない。 「健康な人生の為には嫌いなことをいくらかこなし、美味しくない食事をすること」とは米国の作家マーク・トウェインの言葉だがまさに至言であろう。 筆者の「ルーチン」はいくらかの「嫌なコト」であり飲食についても結果的に世間的に言う美味な類は口にしていない。 ありがとうございました M田朋玖 |