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■ 財布 | 2021. 7.14 |
記憶する限りハッキリと財布を買ったのが今年に入って2回である。 所有している財布については殆んど親しい人々からのプレゼントか貰い物(香典返しなどのカタログでの落手)が筆者の所持している財布というシロモノだ。 昨年秋に新しく購入したCBR1000には荷物入れがない。 バイク乗り専用のウエストポーチに大切な免許証やカードの入った財布を収納して走るには相当に「心もとない」。 それでジーンズのポケットとかバイクウェアに入れることのできる「二つ折り」の財布を探すことにした。 それで行きつけのアパレルショップZARAでバーゲン品のソレを発見、3000円弱で手に入れたがこれが全くの不良品。 何しろ日本国銀行券、即ち「お札」が入らない。 横幅が細くてハミ出てしまう。 これはドル紙幣の為の類であるようだ。 それでも勿体ないので無理して使っていたら大切なお金がボロボロになる。 その上お金をレジで支払う時にお札がお店の人や周囲の人に見られたりすることに対してどうも落ち着かない。 それで再び二つ折りの財布を求めて・・・と思ったがとにかく面倒くさい・・・と思っていたら・・・。 事務用品を買いに100円ショップ「ダイソー」に入店して散策していたらいかにも「良さげ」な黒色の二つ折りの財布が「ある」ではないか。 一金300円。 作りもしっかりしている。 勿論よく観察するとそれなりに安っぽい。 しかしカード入れや小銭入れも装備してあって機能性は完璧だ。 ZARAの財布のように小銭入れのジッパーが開きすぎて硬貨がこぼれ落ちる心配もなく便利なワンタッチのボタン式だ。 その上カード入れも5ポケットしかなく余計なカードを持たなくて良い。 必要最小限かつ不足のない財布の機能を完備しつつ見栄えも黒光りした人工皮革の「イデタチ」はナカナカの優れものである・・・と自分では深く得心した。 何よりもその価格が感動的だ。 ダイソーの創業社長の矢野博丈氏の「100円で買える贅沢品」というコンセプトを感じる(実はこの社長さんとは面識が2回あって、1回目はご本人の講演会。その後に開催された別の経営者の人のセミナーで再会しあらためて2度目の名刺交換をさせていただいた)。 会社(ダイソー)とその製品(プロダクト)には個人的に強い親しみと尊敬を感じていたのでその4000億円規模とされるチェーン店舗に入店するときには或る種の特別な良い感情を持っている。 それはともかくこの「お気に入り」の財布が自分に奇妙に高いテンションを与えてくれていることに考えを及ぼすとそれは「逆ハッタリ」とか「逆見栄」という類で、たとえば超裕福な人がどちらかと言えばみすぼらしく地味な格好をするというのと共通しているのではないかと自分の心を探りながら少しく思うのだ。 有名なところではパブロ・ピカソの黒いTシャツに黒の半ズボン。 フェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグのグレーのいつものTシャツ。 スティーブ・ジョブズの黒のタートルネックにジーンズ、ビル・ゲイツの古い日本製のクルマが愛車など品質というより自分なりのブランドを気にしない「独特のこだわり」が強烈な「自己」「個性」のような気がするのだ。 勿論筆者は超富裕層ではないけれど、ほどほどのゆとりはある生活はできている。 それに最もツマラナイと思うのがその他多勢的なブランドの財布、たとえば「ルイ・ヴィトン」「コーチ」「シャネル」とかその他高級小物ブランドのそれらを持ち歩くというもので、これらは絶対持ちたくない・・・と常々考えていたのだ。心の背景として。 何故なら貧者も富者もおしなべてそれの高級ブランド品を好まれるようで、特に裕福でもない普通の人々やどちらかというと成金趣味的な人がこぞってそれらを買い求め所有していることに何かしら奇妙な反発も感じていたからだ。 そういう心理的反応もあってこの100円ショップの300円という「高価?な財布」はいたく筆者の心を満足させてくれている。 要するに単なる「好み」の問題なのであろうけれど、ブランドDAISOには、そこはかとない日本的で質朴な「表情」が、あると思える。 それに10万円の財布に、2万円入れているより、300円の財布なら2千円でも入っていれば、それなりに「優雅」な気分に浸れるのではないか。 おかげで、大金を持ち歩かなくなって気分も相当に「楽」である。 ありがとうございました M田朋玖 |