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■ Not my business | 2021. 6.29 |
「俺の問題じゃない」 米国映画を観ているとしばしば出てくる表現だ。 いくらか冷たい言い方だが心理的には結構使える言葉だ。 「知ったことか」とかの意訳も可能か。 多くの悩み、トラブルで実際はNot my businessは少なくない。 そのことが自分の問題なのか、貴方の問題なのか、誰それの問題なのか、このあたりは東京都や神奈川県など都会の「ゴミの分別」より峻厳に区別しておきたい。 それをしないでいると物事がゴチャゴチャになって混乱し悩みを深め、事態をさらに悪化させることがママある。 クールなセリフで個人的にもとても気に入っている。 アドラー心理学が「嫌われる勇気」というベストセラー本とテレビドラマ(椎名桔平出演)で流行したが、この学問も自他の「問題の区別」を勧めている。 あまり好きな心理学ではないが書物やドラマでは広々とした解釈で結構有益な物語を展開していて興味深い。 主人公の心理的なクールさもこの「Not my business」に貫かれている為かも知れない。 たとえその関係性が客観的にとても深い類であっても、この「立場」は崩さない方が良いようだ。 夫婦、親子、職場の上司・部下・同僚、特別なパートナー、恋人などなどさまざまな場面で応用できる。 要するに「自分の問題」は意外にも少ない。 心理学で「関心の輪」「影響の輪」という分け方があって、単に興味関心のみでその活動をしている場合(前者)と自分の影響下もしくは自分に影響する問題への取り組み(後者)と区別してみるとNot my businessは「関心の輪」に入るように思える。 例を挙げるとたとえば芸能人のゴシップ、他国の民族紛争(真実これは世界中の個人に影響を及ぼす類だ。たとえば原油の輸送航路であるマラッカ海峡、ボスポラス海峡周辺国のいざこざなど)などに悩み苦しむなどである。 「対策を講じる」必要のある外国の諸問題が全く自分に関係が無いワケではないが、自分の悩みや問題意識を「自分のできるコト」に限定した方が良いとも思える。 人類世界のあらゆる問題に取り組めるほど個人の人生は長くはない。 「一人生一業」なのである。 基本的に・・・。 自分の仕事や趣味を深掘りする工夫は毎日積み重ねて行くべきで「手抜き」は疲労感や倦怠感を覚えるらしい。 My businessには深く没頭しない。 毎日新しく、毎日成長し、毎日少しの工夫が結果として「偉大な仕事」につながるのだ。 人生の長き日常の時間の長さを推し計ると即ち細かく分けて行くと毎日の一分一秒を無駄に出来ない。 睡眠と休養や「遊び」も必要なので時々見逃されやすいが、人間が起きて清明な思考と快活で覚醒した精神と健康で正調な肉体とで活動できている時間は意外に少ない。 それで1分から5分単位で区分して「行動する」ということを実行してみると人生の時間が濃密に流れていき、感覚的に無駄な時間が減っていく。 そのきっかけとなるKeywordとしてこのNot my businessはかなり有益と思える。 「個人の楽しみ事」だけで人生の時間を埋めることはできないが「自分のしている事」を「楽しみ」に帰ることは個人的な工夫で何とかできるモノである。 この今やっている作業「コラム書き」もかつては「義務的」「ルーチン的」に行ってきたが今は純粋に「楽しみ」になっている。 いつの間にか。 文字を書くこと、言葉をひねり出すこと、文章を作り上げること。 この「創作」の喜びは何モノにも代え難い。 それが人々に幸福感を与える素晴らしく芸術的で美しいモノなら尚更だ。 Not my businessとmy businessの差異はやはり個人の人生観に即していると思える。 ありがとうございました M田朋玖 |