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■ 人生を楽しむ | 2021. 6.21 |
年齢的にか毎日の生活を「楽しむ」ことに腐心している。 そろそろ今まで蓄積してきた資源(お金や知識・経験)を使って「人生を楽しむ」という生活上の目標を第一に据えてそれをハッキリと意識し毎日を過ごしている。 人間が死ぬ時に「財」を残すというのは「恥」という思想(考え方)があって隠れた「流行」らしい。 筆者の実の両親は父母それぞれ50歳、75歳で他界しているので平均すると62.5歳。 筆者もとっくに死んでいる年齢だったし両実祖母がそれぞれ長命(90歳以上)であったのでその分少し長命(?)になるかも知れない。 こういう計算上の数字は的中しやすいので敢えて算出しないでいる。 今のところ特に重い疾病もなく自覚的にも元気なので、とりあえず「健康」なのであろう。 けれども実際には人生何が起こるか分からない。 これはもう毎日「楽しく生きている」ことに越したことはない。 肚を決めて日常の全ての事柄・出来事・行動を「楽しむ」べくあらゆる工夫・努力をしている次第だ。 或る程度の「保険」をかけておき貯金や投資など「貯め込む」「増やす」ことなどはせず、たとえそれが浪費であっても豊かな消費生活を楽しんでいるという現状だ。 お陰で最近は「ケチ臭い」ということはあまり無い。 節約ということも無い。 富とかお金とか財とかあり余るほど所有している訳ではないけれど、現在持っている預貯金や現金がどんどん減っている風でもない。 何しろ今も働いていて毎月の収入があるのでそれらの「財」を使うまで乱費している訳でもなくそれなりに優雅な生活をさせて貰っている。 実にありがたいことである。 一方確実に減っているのは「人生の時間」。 その他は少しずつ確実に増えている。 特に知識、情報、経験は・・・。 知的生産の能力については70代が最高らしく高齢者の質問で人生で「一番楽しかった時期の年齢は?」との問いかけに対して70歳代との回答が多い。 まだ60代の筆者としては「楽しみ」である。 まずは「健康管理」というのが大前提。 周囲には「生命より健康」と嘯いている 「玄米食」や軽い運動、確実な減量で身軽になった肉体を得てウキウキする人生生活を味わっている。 遊び道具(?!)の「クルマ」「バイク」「バスケ」「知人友人」「行きつけのお店」「仲間」もたくさんいてこれまたとても有難い。 これまでの努力が実ってそのあり余る果実をゆっくりと食しているという実感があって、それらを経験するのに引退して自由時間を多く取りたいなどとも思わない。 時間を取る「遊び」・・・たとえば「旅行」とか好まない。 ほんの数時間で楽しめる類の三拍子「バスケ」「バイク」「クルマ」なので仕事をしながらスピード感と激しい移動でも充分に楽しめる我が趣味、楽しみであるのも好都合だ。 そもそも「仕事」も趣味・楽しみの範疇に入っていて毎日がお祭りみたいに「楽しい」と感じる。 世間では「老後」とか「定年」とかの言葉が流通しているが個人的にはそれらの言葉は使用も所持もしていない。 趣味も含めすべからく「生涯現役」をめざし実践実行している。 時間を惜しんで一瞬一瞬を楽しみ、絶品の御馳走をしみじみと味わうように一挙手一投足を「言葉」や「ふるまい」「行動」の中に何らかの「喜び」を見出すように心がけている。 そのことですべての事柄が「楽しみ」に変化するのを感じる。 あらゆる個人的な事柄や経験はその個人の考え方や感覚さえ健全ならばすべて楽しみに変えることは可能ではないかと考えている。 そういう意味では精神疾患の人々は実に気の毒だと思える。何しろ人生を楽しむ為の「最大最良」の道具「健康な精神」を失っておられるのだから。 筆者も、こと精神については、「病んでいない」と断言出来ないし、治療もしているので、大きなことは言えないけれど。ある種の健康の為の「オクスリ」は、実のところ個人的に極めて有難い。 ありがとうございました M田朋玖 |