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■ 好きな季節 | 2021. 5.25 |
来生たかおの歌で「気配」というのがある。 「6月の朝〜♪♪」というフレーズがあって、まだ5月ではあるが今頃を歌材にしている。 個人的には一年で最も好きな季節が5月から6月。 当地九州早くも梅雨に入った模様だ。 毎日が降雨か曇天。 それでも今頃は好きだ。 本格的な夏に向けての理由のない期待が心を弾ませるようだ。 「初夏」 春の鬱気もスッカリ消失して悪天候なのにイヤに晴れ晴れとした我が気分が不思議でならない。 何も不満も屈託もない至極満ち足りた日常。 それらの日常生活の一コマ一コマが傑作映画の名シーンのように心を打つほど感動的に美しい。 躁状態のように「落ち着きがない」ワケではない。 穏やかでウキウキしていて全てがキラキラと輝いて目に映じる。 心に余計な渇望や懊悩や後悔や不安がない。 純粋に人生のすべてで満足すると底知れぬ「幸福感」が心に湧き上がるようだ。 幸福な人生に絶対必要としていた「愛」ですらこの「境地」には不要な気がする。 それほどに心が満ち足りている理由が分からない。 常用している抗鬱薬のおかげかも知れない。 そうであればありがたいことだ。 今は運気的に幸運な時期らしく全てが心地良く好もしい展開をしている。 勿論まだ盛運期ではない。 ひきつづき弱含みではあるが・・・。 それでも日常のひとつひとつの行動、感情、現象、環境が素晴らしく美しく心ときめいて進行していて一日も不思議に長く感じる。 良い意味で。 まるで少年時代のように一日が起伏と色彩にあふれ活気がある。 或る女性からは「先生は中学2年生だネ」と言われても心の中は「まさしく」と深く得心したのである。 実際の返答は「そうなの?!」であったがハッキリとトボけた。 この心地良さの源流は先述した「薬物」と「食生活」と「運動」によると思える。 そして「信仰心」だ。 いずれも精神の安定を心にもたらしてくれているのをひしひしと感じる。 運動についてはこれまで否定的であったが再開した「バスケ」の練習で下半身が鍛えられ、それが太く逞しくなり特に細くなっていた太腿と「ふくらはぎ」がしっかりとその周径を増大させ見栄えもそれを保持している意欲や気分も極めて良い。 何しろ半ズボンが穿けるしジーンズの穿き心地も良くなっている。 「心身一如」という考え方は「健全な精神は健全な肉体に宿る」という考え方に近い。 ・・・と勝手に考えているけれど本質は違うと思える。 心身の合一は意外に難しい。 魂と心と肉体が一致して動くとどんな不可能も可能にするだけでなく、その「生きている」快適さが格段に高まるそうである。 ありがとうございました 浜田朋玖 |