コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 外食2021. 5.18

学生時代(大学)の夢は独りで毎日お寿司屋さんや居酒屋で食事をし、酒を飲むことであった。
当時は勿論学生であるからお金も時間も無く、そのような飲食店への出入りが自由にできる訳ではない。
それで「憧れ」になるのであるけれど、そのことをあらためて「認識」したのは65歳を過ぎたほんの近頃のコトである。
結婚し家を建てて子供を育て終わって仕事はまだ続けているが年金を貰えるようになってこんな「夢」があったことをフト思い出しひどく心嬉しい。
何故なら今は極めて有難いことにお金のことや家族のことやその他のさまざまの世間体や体裁や今流行りの「コロナ騒動」にも心理的に全きフリーで、それらの「自由行動」を心から楽しめることである。
最近は本代と飲食代についてそれを「高い」と感じなくなったことが嬉しい。
それらを好きなように購入できる自分の経済力と自由・・・その前者がいくらかささやかであっても一般の人よりもはるかにふんだんに享受できるということに深い喜びと感謝の気持ちを覚える。
ありがたいことだ。

60歳代以前には外食などということに少しも喜びを得ることが出来ず、こんな無駄なことはないと考えていたので「遅咲き」の「外食家」デビューとなった。
独身生活には極めて便利なことに昼食の病院食(入院患者さんと同じモノを食べている)で一日一食の食習慣と相まってそれなりに深く満足していたのでこの新しい「遊び」(外食)があらたに生活に加わって人生の喜び楽しみのリストが増えてことさらに嬉しいと感じる。

元々「晩酌」というモノはしないしアルコールを飲まない。
何故なら夜でもクルマやオートバイを楽しみたいと考えているからだ。
このコロナ自粛のさなかに「外食」をするとお店によってはまるで「VIP待遇」だ。
少し多めにお金を払うとさらにお店の人に喜んで貰える・・・。
こんな愉快な楽しい事、娯楽はない。
美味しい料理と楽しい談笑や社交を飲食店でできるなんて何で贅沢なんだと思える。
マスコミや行政の扇動する「コロナ自粛」という類がいかに罪深いモノかあらためて感得できる。
庶民一般大衆の大きな喜びを奪っているからだ。
コロナウイルスという現実的には数字的に極めて危険度(生命について)の低い病源体に対して「生命を救う行動を」などと誇大妄想的で大袈裟で真面目に報道するメディアやそれを支持する行政の態度には怒りを通り越して「呆れ果てる」レベル。
こんな「体たらく」で日本人の生活と日本国と日本経済を奈落に突き落として平気なんであろうか。

再三述べているように新型コロナウイルスの危険度は統計的にそれほど高いモノではない。
その死者とされる数も1年間に1万人に届かない。
それが1万人を超えたのは発生から1年4カ月を経てからである。
致死率0.4%という数字も他病と比べて非常に低い。
それを感染症とか伝染病とかと表現されたとしても所謂疫病とかのレベルではない。

コロナワクチンを全人類に「打たせよう」という企みが良からぬ人々・・・たとえば人口削減政策を意図している組織や人の存在の影を感じる。
新種のワクチンによって・・・。
これは原子爆弾を何千発も地表に投下するより効率的である上に倫理道徳的に問題なく見せかけて目的達成(人口削減)できる・・・という極めて巧妙な手段ではないかと勘ぐっている。
個人的にはこれらの事態や世情を逆手にとって「外食」を思い切り楽しんでいるという訳だ。

コロナウイルスなど少しも「脅威ではない」と了解しているので出来る行動と思えるが他の人々も早く正気に戻って、即ち数字的・確率的な危険度を自ら確認し自由に「外食」を楽しめば良いのにと思う。

ありがとうございました
M田朋玖



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