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■ アルバム | 2021. 5. 6 |
古いアルバムを書棚から引っ張り出してツラツラと眺めてみると実父が若い頃に撮ったであろう幼い筆者の姿が愛おし気に映像として捉えられている。それらのモノクロの写真を見つめながら思わず落涙してしまった。 親の愛ほど有難いモノはない。 思い切って真円に近く丸く縁どられた幼児期の顔相は現在の長顔と異なりいかにも子供らしく愛らしい。 自分で言うのは気恥ずかしいがとても「自分」とは思えない。 写真の貼られた昔のアルバムはいかにも高価そうな装丁で中身(写真)も外見(アルバム)も当時における貴重さのレベルが窺い知れる。 長男なので弟(二男)に比べその数量と質において全く段違いだ。 兄弟姉妹の序列とか贔屓がよく分かる。 それでも写真の価格が相対的に高価であったのか全部でほんの5冊しかなし家族のアルバムは家族愛の歴々とした証拠として極めて貴重な類ばかりだ。 個人的には「宝典」と呼んでも過言ではない。 それにつけても若い頃には想像も出来ないほど心身共に心楽しく豊潤な日常を送っている。 特に憂いも苦しみも無く、平穏で活動的で自由な毎日。 今は全ての幼少時期の願望を実現しているという実に有難い実感もある。 勿論それぞれの年齢・時期に応じてそれなりに苦難困難にも遭遇した。 それらを乗り切ってこれたといういくらかの自信もある。 それらの殆んどが自力というより他力、即ち「奇跡」とも呼べるめぐり逢い、出逢いによって達成された・・・ということも深く理解している。 何らかの大いなるチカラによって幸福に、豊かに「生かされている」という実感もあり「自分の物語」がどちらかというと明瞭に「幸福な物語」であることに気づかされ殊更に感謝の念が心に湧いて来る。 今は春。 入学・卒業・進級・就職・・・それらの期待と不安と幸福感の入り混じった複雑な心境もやや平静さを得てゴールデンウィークという呼称のロングバケーション(日本人にとって)に入る。 それらを或る種の幸福感を持って迎え、過ごせるであろうことにあらためて深い喜びを感じる。 緑風と緑葉の心地良い囁きが人生の彩りをイヤ増す。 10年ほど昔におとずれたGW休みの「ヨーロッパ旅行」を思い出す。 それは日本のように深く濃い「緑」ではなく迷彩の無い平坦な薄緑だ。 それらが見渡せる地平のかなたまで広がるなだらかなヨーロッパの平原よりも日本のそれは季節ごとに刻々とその色を変化させ、四季の変化の豊かさにおいて日本のそれに分があるように今は思える。 うつろいゆく時の流れに思いを寄せる時、どうしても感傷的な郷愁を共に思い出されるのは所謂「恩人」と呼称すべき人々だ。 当然ながらそれらの人の誰が欠けても現在の自分の幸福は無い。 どこかで逃したかも知れない「幸運の女神」という存在にも今は少しも心が及ばない。 「これで良かった」 「これがベスト」 そのような心境が図らずもアルバムを開いて得た甘く平穏な心境。 「生きてるだけ丸儲け」 そうかも知れないとしみじみと思える。 ありがとうございました M田朋玖 |