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■ 「適応」 | 2021. 4.11 |
昨年7月4日の球磨川氾濫による洪水被害の爪痕は市内の中心部(川の近接地域)でまざまざと痛ましいほど無残に破壊された様子をいまだに見ることができる。 丁度、虫歯で穴ぼこになった歯の空洞を見るように被災家屋の残骸にスポンと抜けた「穴」として確認できる。 水から汚泥の戦いはいまだにつづいていて、掃いても掃いても次々と強烈な悪臭を放つ泥の塊りが永遠につづくほど建物の中に染み込んで人々を苦しめているとのことだ。 これらは地震の被害より洪水の方がより「後始末」に手間がかかることを示していてオソロシイ。 当地にも「水害保険」に加入していた洪水被害常習地域の人の場合、それなりに高額の保険金が入金され建物の新造ができるとのこと。 また地域外に人的ネットワークの多い人の場合は個人的な「義援金」が大量に口座に振り込まれ「火事太り」ならぬ「洪水太り」しておられるラッキーな人もおられる。 悲喜こもごもとはこのことで元々生活困窮者の方々の場合、避難所生活で楽になった方もおられるようだ。 何しろ三度の食事が無料で手に入り、水道光熱費や家賃も不要で日頃の正常な生活よりも相当に気楽なご様子で妙に安心したりもする。 同じ「洪水」被害者と謂えども受け取り方はマチマチであることをあらためて知った次第である。 それで学びのひとつ。 同じ事柄でもそれぞれの立場や境遇で受け取り方がマチマチということ。 ここでも物事について「どのような解釈をするか」という命題が繰り返しお伝えしている言質であるが非常に重要であることを知ることができる。 事や物は太陽の光のように、台風や地震と同様全ての人に降りかかり襲う。 それらに対して人間がどのような「心」で「気持ち」で立ち向かうが、ここが最も大事な転換点で勇気をもって再び立ち上がるのかやめてしまうのか或いは他の地へ逃げ出してしまうのか・・・それぞれ正邪善悪、最良の選択は個人としてさまざまであっても結果として逆に「良かった」と思える人々が最終的にどんなことにも「乗り越える力」を持った人々に違いない。 起こってしまったことは仕方がない。 どんなに「悔やんでも元には戻らない」。 そのことを明瞭明確に諒解し「前に進む」ことが人間の価値の高低を決めると考えている。 どんどん変化している世の中、世界情勢、越境・・・それらの変化に対応する、適応する生物・人間だけが「生き残って」ゆく「適者生存の法則」はどんな場合でも応用できる有益な考え方だ。 「生き残る者」は常に強い者でも大きい者でも賢い者でもなく「適応」できる者だ。 環境や変化や現状に適応してゆくのが市井で暮らす一般庶民の知恵だ。 為政者の変化、政治体制の変化、環境の変化などすべての周囲の変化は個人の変化より常に早く激しい。 日々に「進化していかない個人」は自然に淘汰され消滅させられる運命である。 適応していくコツといったら自分の心を常に柔軟に素直に保ち自分の「考え方」や「こだわり」や「手順」「習慣」を破壊していくという心構えが必要であろう。 人間は年齢とともにどんどん固く硬直的で萎縮して脅え、水気が無くなり「溜まり水」のように腐りやすくなる。 常に動き、流れ、変化していくのが適応の正しい態度であろうと思える。 昨年の米国大統領選挙。 バイデン氏が勝利しトランプ氏が敗北した世界中に影響を与える同選挙結果。 いずれになったとしても世界中の人々は「適応」するしかないし、それが最良の選択であろうと思える。 ありがとうございました M田朋玖 |