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■ 春の珍事2 | 2021. 2. 5 |
1月も20日を過ぎ下旬になると天気さえ良ければ光はまさしく「春」だ。 近頃は特に暖かい日がつづき尚更に春めいた気分になる。 夏物の衣装にストールとコートを組み合わせてファッションを楽しんでいる。 この明るさが好きで少年時代・青年時代には試験がひとおおり全部終わってしまう期日と重なりことらにゆったりとした心持ちを味わえる良季となっている。 今夕あたりハーレーダヴィッドソン883を車庫から引き出してソロのツーリングに出かけてみたい・・・などと仕事中から考えている。 伝聞では実際まだ寒いらしいけれど、陽光の為に暖かく感じるし実感として光線を浴びている部分は暑いと思えるほどだ。 コロナ騒動をヨソに個人的にはいつものように春を楽しんでいる。 光が増えてくるとただそれだけで心が浮き立つもののようだ。 令和2年の1年間は個人的にも世間的にも大波乱。 天国と地獄を頻繁に往来する、もしくは急峻な山坂を急昇降する幸福の絶頂と地獄の煩悶を経験した。 後年にはどんなふうにこのメモリアルな2020年を振り返るのであろうか。 人生で初めて味わう「後悔」という心持ちも総体的に遠望したらいつものように「楽しかった」という捉え方になるのであろうか。 世間的な騒乱、地元人吉地方の豪雨災害、コロナ騒動もどこ吹く風。 少しも被害や損失を受けす幸運といえば幸運・・・個人の精神の浮沈とは無関係に進行している「世の中の流れ」も少し斜めに見るとひどく滑稽だ。 コロナ・マスク・ソーシャルディスタンス・自粛・緊急事態宣言・・・いずれの言葉にも全くリアリティーを感じない。 まるで他人事・絵空事だ。 1年間殆んど手洗い消毒もマスクもせず都会や田舎にも通常どおり出かけてみたが「何も起こらない」。 確率的には個人(日本人に限る)がコロナに感染して重症化し死に至るなど「万に一つもない」極めて低レベルの可能性しかない。 内科の開業医が30年以上の経験で平均2人しか「見ない」とされる稀少な疾病の白血病の死者が毎年2万人というのに、コロナ死者が5000人足らず。 これでは個人も我が医院自体も「コロナ死者」を「見る」確立など極めて「稀」と言わざるを得ない。 勿論感染者は見ることがあるかも知れない。 それで致死率0.1〜4%のコロナウイルス、5年生存率が40%しかない疾病と比較するとどうしても「見劣り」がする。 それらを煽り煽られて人々が大騒ぎしているのがひどく滑稽に思えてしまうのだ。 実質的に被害者が限定的で僅少な疾病に対してその脅威を煽りつづける・・・というのは良識的に「いかがなもの」であろう。 もっと冷静にとかしっかり考えましょうとか誰かが言うべきではないだろうか。 TVの出演者の誰もが「煽り」に与している。 この社会現象「人々のマインド」の方に強い恐れと苛立ちを感じる。 冬の土用が終わる明日は「立春」。 もう春だ。 気温が下がり空気の乾燥する時候にカゼが増加するのは当然のことだ。 インフルエンザにしろコロナウイルスにしろ通年的に発症を維持していて冬場に増える。 それを「第3波」とか「第4波」だとかの言葉で民衆、視聴者を「かどわかす」のは犯罪に近いと思える。 コロナ倒産・コロナ不況・コロナ解雇・コロナ失業など身近でよく耳にする。 これらの「社会現象」に対してひどく「オゾマシイ」と感じられる。 「未知の病原体」とは言え正体も分かってるし、それはそれほど凶悪でも脅威でもないことは分かっているしワクチンも治療法も確立されて来ているらしい。 それでも騒ぎ立てるのは良識ある日本人の態度とも思えない。 大学を出て或る程度教養を備えているとされる人々・・・多く中小零細の企業経営者、給与所得者を中心に脅え方がひどいことにもひどく奇異な印象を持つ。 テレビの情報を「中心」に据えているフシがあるそれらの所謂オールドメディアが公然と嘘をつくことにまだ気づいておられないのだろうか。 まさに春の珍事だ。 ありがとうございました M田朋玖 |