コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 雑感2020.12月2020.12. 3

諸事情を勘案して十数年間書きつづけて来たコラムをいったんクローズしている。
休筆ではない。
勿論IDやパスワードをお求めの方には公開しているので当院にお問い合わせしていただければ即応しております。

2020年を振り返ると世界も世間もプライベートも「大荒れ」であった。
或る意味結果的にはキッチリ「納まった」感覚でそれ程悪いフィーリングでは無い。
ただしまだまだ「波乱含み」ではある。

自らの心の問題だけにフォーカスすると「恐れ」を駆除することに腐心しているように思える。
愛のある人生、即ち幸福で豊かな人生を築くにあたって最も恐れるべきは自らの心の中の「恐れ」である。
英国の戦時名宰相ウィンストン・チャーチルは「恐れることを恐れよ」と国民に訴えつづけた。
また「勇気」を失ったらすべてを失う可能性がある・・・と。
確かに一定の勇気が無いと安らかな入眠も出来ず、うきうきする心愉しい朝を迎えることもできない。
世界有数の喜劇王チャールズ・チャップリンも人生に必要なモノは「愛と勇気とサムマネー」と語っていた。
愛と同じように勇気という心のチカラは豊かな人生の絶対必須条件かも知れない。

勇気というとすぐに喧嘩をする時の粗野で荒々しい蛮勇を思い浮かべる人が多いと思うけれど登山の時の下山する勇気、名誉やプライドよりも人命を尊ぶ勇気、またその逆など世間の常識とは異なる勇気という概念もある。
敢えて「恥を忍ぶ」のも勇気であろうし、傷つけられたプライドを捨てるのも勇気であろう。
人それぞれに「勇気」のカタチがあるのでそれぞれの考えや見解や信念に基づく自分独自の勇気を貫けばよろしかろうと思う。

昨今は「新型コロナウイルス」なる病原体への恐れを煽る報道や為政者、大企業経営者、公僕のそれらに同調するふるまいや言動が常態化しているが、筆者の場合は自分で調べたデータ分析からこの病原体に対する恐れは殆んど全くない。

人からそれをしろと言われて「拾ったマスク」をすま〜して着けてしまうほどに。
何故なのだろうと自問した時に自分の分析の中に全くそのウイルスの危険性や起こりやすさについての根拠・エビデンスを発見し得ないからで、それらより迫り来る「大恐慌」や「戦争」の恐怖の方が勝っている。

相変わらず世相は暗く暗鬱で出口の見えない不況がつづき企業倒産や販売不振によるリストラ、失業、貧困層の増大など禍々しい状況で、それらに追随する出来事にあふれ返っているように見える。

全体的な「沈滞ムード」。

ただし当地の洪水被災は或る意味で強烈な精神的なインパクトを市民・地域住民に与えたものの「復興への希望の光」を見い出した人々は一見「元気そうに見える」。
思い過ごしであろうか。

先日、午前4:30分に目覚め自宅の神棚に祝詞を挙げた後に当地を霊的に守護する青井阿蘇神社に詣でたが、そこは明るくライトアップされ水道は流しっぱなし。
静寂で静穏な空気に満たされ心地良い水音と光と闇のコントラストで一種の神々しい荘厳な風趣と「清らかな精神」があたりを包んでいて、神様が「戻られた」ことを実感した。
心を込めて大枚を賽銭箱に静かに落としこうべを垂れ、手を合わせていっとき瞑目した。

清々しい気分がそれ以来つづいている。
人間は神や霊と共にあるのだとつくづく思う。
そこで生活をし、暮らし、生きて行き、またさらに商いを営むのであれば地元の神社への寄付や寄進や参拝は当然のことであろう。
人々はそのことを忘れてしまっていたのだ。
それら大自然や神の恵みや鎮守に対する畏れを持たず人間の生の欲望と感情のままに活動する無知な人間達に降りおろされた鉄槌が洪水でありコロナ騒動であるのかも知れない。

傲慢な人間どもよ「覚醒せよ」「いい加減にしろ」というメッセージを込めて。
個人的にはそのようにこの今の世相を捉えている。
「恐れるな」「おまかせしなさい」
これが人々への強いメッセージだと・・・。

ありがとうございました
M田朋玖



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